心身を最適な状態に持っていく最良の方法は、あるがままの自分を見ること

前回のエントリーでは、文章を書くために必要なのは最適な状態の90分だ、と書きました。じゃあどうすれば最適な状態にできるの、ですね。

結論:わかりません。

すみません、正直そうです。僕は体質的に、同じことを3日繰り返すとどんなに良い習慣であっても飽きたり、嫌になるようにできています(これが人間関係にも当てはまるときがあるから困ったものです)。なのでこうすればこれ以降大丈夫、みたいな方法論は体得できていません。ただ、どんなにランダムに見える自分の正確にも何らかの法則があるだろう、と考えて努力はしています。今回はその努力方法を紹介します。

座禅を組む

いきなりニューエイジに突入していますが、宗教色は無視して、瞑想は効きます。僕の場合、朝起きがけに10分から20分程度、座布団に座って手を軽く組み、背筋を少し伸ばし、3メートルくらい離れた場所をぼんやり眺めます。その間、頭に入ってくる全てのことを、とにかく「観察」しつづけます。考えを追いかけるのは簡単ですが、一歩は慣れて観察するのは至難です。

そしてここが肝心なのですが、決して考えを「良い」「悪い」と決めつけません。どんなにいやな考えも、全てあるがまま、観察しつづけます。考えにとらわれると悪い考えを増幅してしまうので、とにかく観察です。それを続けると、どれほど気分が悪い日でも、少しだけ気持ちが軽くなります。バカボンのパパみたいに、「これでいいのだ」とつぶやけます。そして書くことのみならず、一日を始める気力がわいてきます。

少しでもいいから書けたら「書けた」とする

職業ライターのように毎日1000字のエントリーを書かなくてはいけない、はきついので、ツイッターで1つぶやき、フェースブックで1エントリー、でも「書いた」ことに含めてしまいます。とにかく、「今日自分は何かをやり遂げた」という小さな満足を得られることが継続の鍵かなと考えています。

小さい満足を保険としてかけておくために、僕は書くことの窓口を複数に分散させています。英語ブログ、日本語ブログ、ツイッター、フェースブック、はてまた気に入った記事、本の引用や紹介だって「書くこと」に含めて、最悪な時期でも何かしら継続できるものがあるようにしておきます。

これでいいのだ

もう一度、バカボンのパパの名言を引用します。自分を無条件に認めることが一番効くかな、と最近は考えています。これは自分に満足するということでもなければ、あきらめることでもなく、好きになるということですらありません。今ある自分を、等身大で受け止めるということです。自分の今をそのまま直視して、そういうもんだ、と理解するということです。言うのは簡単ですが実行するのは難しく、僕も別エントリーでまた説明する必要があります。今は、こんなところで。