冒頭から哲学的な会話が延々と繰り広げられるため、ここ数ヶ月で最も字幕に頼って映画を観察した。使われている単語が難しいというより、前の2作を見て、かつ監督の壮大な構想?を理解していることを前提にして会話しているためにとてもついていけない。英語というより、日本語の会話を聴いているような気分になった。仲間内とか、その業界の用語を使って行われる日本語の会話。軽く疎外感を味わいつつも物語は結末へ向かって走っているために、Reloadedよりもわかりやすい部分が多いと思う。哲学が前半に集中していてよかった。Reloadedの後半は座席に座っているのが苦痛になってくるくらいの禅問答が続いたので。
監督が本当にやりたかったのはその禅問答の部分であり、派手な特撮(死語)やアクションはそのおまけでしかないのだろうな、と見ながら感じていた。Matrix ReloadedもRevolutionも映画としてはそれほど感銘を受けなかったけど、莫大な金をかけて特定の個人(主に監督)が好き放題にやる、という現象は結構好きだ。その系統で言えば他にもMars Attacks!という素晴らしい映画がある。
特撮(死語だけどこれが一番好き)がいきつくところまで行ってしまって、文字通りなんだってできる状況になってしまったことも強く感じた。刺激を感じるのは最初の一瞬だけで、後はなにをされても普通のこと、として受け止めてしまう。第一作が出たころは、特殊効果を見て体が本当に振動していたけど今回は・・・センチネル(クラゲみたいなあの機械)が1000匹ぐらいとぐろを巻いて襲ってくるシーンなんて、それだけで第一作の特殊効果予算を全て使い切ってしまうくらいの精巧なことをやっているのだろうけど、もはやそれほどの驚きを感じない。たった4年でこうなってしまうとは。
SF映画の歴史を見てみると、10−20年くらいの周期でそれ以降のSFのあり方を変えてしまう作品が出てくる。ちょっと強引だけど
1960年代:2001: A Space Odysseyが出て、タコの形をした火星人と円盤UFOがいなくなった。
1970年代:Star Warsが出て、レーザービームと宇宙船の形が決まった。
1980年代:Blade Runnerが出て、未来都市のイメージを決定した。
1990年代:The Matrixが出て、ようやく仮想現実とはどんなものか、という漠然としたイメージに形を与えてくれた。
こうやって眺めてみて思うのはMatrixの果たした役割=それまでの概念を覆す=は終わったのだなあ、ということだ。観客も4年でなんだか「飽きて」しまったので、Matrixの次を担う映画が出てくるのを今から待つことになりそうだ。ここのところ、宇宙へ意識が向くことが少なかったので、次はもう一度大宇宙を舞台にした革新的な映画が出現、となってくれたら心強い。MatrixやBlade Runnerは掛け値無しに素晴らしい映画だけど、一つ難点があるとすれば将来に悲観的になりやすい、あるいは現実を生きる力を与えてくれるタイプではない、ということだった。Blade Runnerの未来はもろに暗かったし、Matrixは現実をはなから疑っている。次は現実をたくましく生き抜くことがテーマの映画でかつ、斬新な視点を持った映画がでてきたらちょうどバランスがとれるだろうか。