僕らが外国語を学ばない理由(の一つ)は、カタカナを使ってあらゆる外国語を日本語化できるから

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なぜ僕たち日本人がなかなか英語など外国語を身につけられないのか、すでに1万回くらい議論が繰り返されています。僕自身は「使えなくても仕事が得られるから」という理由を支持してきました。ここではもう一つ、あまり語られていない理由を述べてみます。

日本語があらゆる外国語を日本語化してしまうからです。

カタカナですね。(古くは漢字だって、中国語を日本語に取り込む方法です。)まあこのカタカナという「外国語を日本語化するため」の言語体系を持つことで日本語は世界最強クラスの外国語取り込み能力を手に入れており、それがかえって外国語を習得する妨げになっているという考えです。

他の国を見渡しても、日本語のカタカナのように特定の目的のために存在する書き言葉の体系、などというものを別に用意している言語は見たことがありません。(繰り返しますが、漢字だってそうです)。日本語はその構造からすでに、異物を自分の中に素早く取り込める性能を持っているのです。

おかげで外国のどんな概念やモノも、全てカタカナ化してしまい、「なんだこれは」とうろたえる間もありません。ただ、そのカタカナにも功罪あり、その「罪」の部分が外国語習得の動機を鈍らせるな、と思います。種類別に見てみましょう。

固有名詞

ピカソ、マドンナ、などですね。カタカナはこのために生まれたようなもので、これこそカタカナの最大の「功」だと考えています。さもなければ:
中国語:不過喬治克隆尼一路走來…
日本語:しかしジョージ・クルーニーのこれまでの道のりにも…
日本語のほうが読みやすいですよね。どこで切ればいいのか、考える必要がありません。

一般名詞(技術用語)

コンピューター、ネットなどですね。ここらへんからカタカナ語の功罪が不明になってきます。 確かにコンピューターという言葉は、慣れてしまうとなんてことはありません。ただし、先ほどと同じく中国語と比較すると:
中国語:電脳
日本語:コンピューター
中国語のほうがはるかに分かりやすく有りませんか?カタカナのない中国語では、外来語をまだ自国語に「翻訳」しています。手間がかかるでしょうが、そのおかげで元の言葉の意味が確実に伝わります。電子の脳ですよ。 中国語社会では、computerという元の言葉と、電脳という翻訳語の間に「意味」がつながっています。そうすると、例えばcompute、という「計算する」という動詞の意味もすんなり理解できるでしょう。日本語では、元の言語の意味が日本語に反映されないので、英語を勉強する気に意味のスムーズな流れが作られにくいのです。

動詞、形容詞、など

リムる、トリビア、などでしょうか。これは完全に「罪」だと僕は思っています。リムるとは英語のremove(削除)をなぜかわざわざ変えているし、トリビアtriviaにいたっては「豆知識」という立派な言葉があるのにあえてその語源を消してしまい、ただの記号にしてしまいました。こうして元の言葉をただの記号にして取り込みやすくし、かつ使い慣れた言葉に新鮮な感じを与えるのがカタカナの便利な点ですが、言葉をみただけでは意味がわからなくなってしまうのです。そしてそれは、知らず知らずのうちに元の外来語の意味を理解する機会を奪ってしまいます。

というわけであまりにも便利過ぎる言語、カタカナに慣れきってしまうと外国語を根っこから理解する習慣が形作られず、外国語習得の際に知らないうちに不利になっているのでは、という考えです。