Jan1st Sunrise & Fujisan watching at Mt.Mitsutoge.

Fujisan at dawn. Bigger picture

Fujisan at sunrise. Bigger picture

Fujisan in the clear view. Bigger picture

Fujisan with a ubiquitous disturbing element

O-Bento Fujisan

The sunrise moment.

The fellows. Bigger picture

At Mitsutoge station. The woman inside the office is not wearing uniform. She takes the ticket and chats with some locals. Tokyo’s modern employee management system (called slavery) hasn’t reached here yet. Good.

A statue at the station. It says “Welcome to Mitsutoge” on the bottom. Welcomed by a sign of curse.

On the way to Mt.Mitsutoge. You cannot rely on those ropes too much.

Ojizo-san. He is my uncle. I gave him 10-yen(otoshi-dama). I am so nice.

Saying hello to the other relatives.

A huge dog at the mountain hut, called Jump. He(maybe) was so nice to me when I was together with other hikers. The next day when I was alone, he barked at me frantically. Unfair.

Misty Fujisan at Dec31. A bad feeling crept up.

Kotatsu room. A TV set(Akebono VS. Bob) and tons of mican(orange) will complete the picture.

Dinner at the hut. A special year-end soba was added. Some members didn’t eat the fish head and shrimp tail. They don’t know what they have missed.

Waking up at 6:00am, everybody is waiting for the moment.

After watching the sunrise, free amazake was served to everybody at the hut. Yipee!

My share of amazake

Peter with amazake (and also with genuine sake). Bigger picture

Natto breakfast with mochi soup (o-zouni). How far we have come from the days at Mt.Hotaka-dake(refugee camp).

Not a good manner at mountains

Someone put a kagami-mochi on this rock. Many thanks to the zoom-in feature of my digital camera. My fear of heights has been cured a bit after I started hikings, but will never go away..

On the way back. Miniature shrine.

Tanuki-ropeway. Which is less embarassing to ride, this or swan boat?
ここでまだ会話をしていても良いのでしょうか。blogだと掲示板と異なるのでなやんじゃいます(笑)
isaoさんのおっしゃることは大いに正しいと思っているのです(念のため)
ちょっとだけ知る限り補足するとすると危惧があるのは、つまり最近リベラルががっくり来たのは、第三の道を書いたギデンスのイギリスがイラク戦争に加担したことだったと認識しています。
過剰な個の表出は弱肉強食に行きがちなので、精神としてなにか歯止めがいる、それがギデンスの言った「包含」でした。理解し得ない他者であっても包み込むのだと。でもイラク戦争に加担した。包含というのはいったいなんだったのか!というわけです。リベラルの方々ちょいお元気がないのです。
それはさておき、ボク実は山崎正和の説がとても好き。
山崎正和はisaoさんが言う「水と油」を個人単位で考えず、個人の多重人格性の中に入れ込んでしまいます(山崎正和はこうは言ってないのですよ(苦笑))
つまりこうです。
個人が1つの(例えば会社)中に埋没する時代は終わり、多様な社会になったときに、いろいろな複数の集団の中で社交するだろう。
1つの集団の中では、地位も低くへとへとになっても、別に所属している集団の中で、彼はトップでリーダーシップが取れる。そういう可能性が多様な社会の中の社交なのだ。
こう整理するのです。
ボク自身、blogの中でも 教えを請い「下層」に位置する依存的なボクと、あるところではリーダーシップが取れるボクがいる。こうして「水」と「油」が一人の中で分離しつつ統合している。こちらがより現実的な捉えかなといまのところ(いまのところです、いまのところ)考えています。
さて、最後。
「個」のわがままをとおしているアメリカという人種、または個が強いと言われる、中国、フランス、この当たりの方は、ある集団の中で「下層」にいる自分に耐えられるかどうか、ここがボクにはよくわからない。
もし耐えられるなら上記パラグラフは、個が強めに出る人種も日本人も同じ。
耐えられないとしたら、生き残るのは(好まれるのは)、集団主義傾向は強いけれど、場が与えられればリーダーシップもとれるしというどちらも可能な日本人的タイプではないか・・・と、やや飛躍があると承知しつつ思う・・・・というのが「もしかしたら日本人のほうが残るかもな」の詳細でした♪
長くなってごめんなさい。
うーん、onoさんの分類方法はあたっているかも。僕の予想は、その2つの方式が水と油のように併存しつづけるのではないか?というものです。希望やビジョンをもっていきようとする人は「個」の確立を目指し、そういうこととあまり縁のない人たちはモラル(・・・皆一緒、という感覚でしょうか?)を持って(すがって?)生きる。水と油と言ったのは、両者がほぼそのまま「上流」と「下層」にわかれてしまうのかなあ、とぼんやり考えたからです。不幸ですけど。
アメリカのテレビ番組をなぜかイメージしてしまいました。「ER」が前者向け(現実をどうやって生きるか?)で「フレンズ」が後者向け(現実をどうやって忘れるか?)、に相当するように思えます。僕は前者でいたい、と思っているからちょっと後者の見方がゆがんでいるかな。
いくつかはボクのblogでも触れているのですが、こんな事を考えているからです
●成熟した社会で一様性がなくなった時、その社会が成立するためには2つの行き方がある。
1つは、リベラル。こちらはisaoさんの言う「個」が確立し、他者に迷惑をかけない範囲で自由を求め、たえず「選択する主体」としてのワタシがある。社会が多様であるから「個」が積極的に選択できないと、個は溶解する
●もう1つは、共同体主義。多様ななかで自分がどうしても理解しえない他者と共存するには、モラル中心の主体性(笑)を発揮すること。絶妙の表現をされるなと思いましたが「自分」はあるけれど「個」がない方向
●もし、頭や内蔵が透き通るようにわかる剥きだしの社会になったとき、自分をはっきりと持っていた方が生き残ると見ることもできますが、逆に立場を変えて 一緒に暮らす立場から見ると、モラル中心の主体のほうが 一緒に暮らしやすいと思うだろうな そんなことを思っていたのです。
知識人全体の論調としては(笑)、明日はどっちだ って感じの論争中と認識してます。
僕は表現したものよりも、常に考えのほうが大きいだろうな、と思っていましたが、でも表現しているうちに考えている内容が変わってくる、ということならば映像のほうが文章より効果的かもしれませんね。
個人が剥き出しになると一番困るのが日本人なのでは(「自分」はあるけど「個」は無い)、と考えていたのでonoさんのコメントは新鮮です。よければどうしてそう思われるのかもう少し教えていただけますか?
>表現したいことを映像で伝える手法がもっと広まったら・・・「言葉の壁」がなくなり、個人のスキルの優劣がよりはっきりして、日本はますます困り、翻訳業は絶滅し、映画が特別なものではなくなる。
変わらぬ深い思考をされるなぁと思って読んでました。
文脈ズレズレですが、
「言葉」で表現しきれないものが表現できるようになるという事態は、表現が考えを超える という事態ですよね。
個人が剥きだしになる。
もしそうなら、日本人のほうが残るかもな とふと思ったりもしました(半分本音ですが)