夢一夜

夢の中でスポーツ選手に、世界一のパフォーマンスを出すというのはどういう気分なんだ?と僕は聞く。「うまくいえないな」と彼は答える。「突然降りてくるんだ。自分が力を出す訳ではない。気がついたら力が出ている。僕はその状態に至れるよう、自分を持っていくことに全力を注ぐ。」

「僕もその気持ちがわかるよ」僕は彼に言う。「僕は文章を書くことが好きだ。でも、何を書くかなんて、事前にはわかっていないんだ。書き終わって初めて、自分が何を書きたかったか分かるんだ」

僕は目が覚めた。自分が最近感じていた、「いったいこれから人生で何をしていこう」へのヒントが少し分かった気がした。答えは既に自分の中に眠っているのだ。僕はそれを掘り出すべきなのだ。どうやって?書くことで。僕は書くことで知ってきた。書いたり、他人からの問いかけに答えることで、初めて自分が何を考えているのかわかってきた。僕が今仕事に打ち込めず、かといって鬱になっているわけでもなく、何をすればいいのかよくわからない状態にあるここからどうやって抜け出すのか?書くことではないのか?自分が言いたいこと、書きたいことが自分の中に蓄積されているからではないのか?仕事なんていいから早く中にたまっているものを吐き出せ、そう自分の中から声が叫んでいるのではないのか?

少し書いたら出すものなんて枯れてしまうんだよ、とひ弱な僕は抗議する。数週間書き溜めたら、沈黙してしまうんだ。書くことなんて別にどうでもいい、って。それがしばらく続いて、また僕は悶々とし始める。その繰り返しなんだ、書くことはセックスみたいで、時々発散できればそれでいいくらいなもんなんだ、僕はさらに続ける。

それは確かに発散だ、と別の僕は言う。でも僕が本当にしたいのはそんなことではないんだ。僕はこれまで「なりたい自分」に焦点をあててきた。有名な作家、誰からも慕われる有名人、出版した姿。。。そして足がすくみ、そんなのは本当にできるとは思えない、第一、継続して書くことすらできないじゃないか、と僕はいつも言い聞かせてきた。そして僕はいつも、普段の生活に戻る。平凡だけど給料が継続して出る仕事に。趣味と言う名の中国語やヨガに。自己啓発という名の瞑想に。友達を作る名目のイベントに。本当にしたいことと向き合うことをやめて、今自分に出来ることに戻る。結構なことだ。何も問題はない。

けど、それで僕は満足してきたのか?否、だ。本当に満足できているのなら、なんで仕事にやる気を失い、新しい趣味を探し続け、人生の意味を問いかけ続けているのだ。なんで何をすれば自分が充実するのか、未だにわからないのだ。僕の僕に対する本当の義務は仕事をすることでも誰かを見つけて結婚することでも趣味を極めることでもない。自分の中に潜んでいる巨大な何かを掘り起こすことだ。

何かは僕にもわからない。でも僕は掘り起こさなければいけない。それは僕にしかできない。どうやって?巨大な化石を想定して、綿密な計画を立てて、道具を一通り揃えるのか?いや、それはもうすでにやった。なりたい姿を想像することも、考えをぐるぐる回すことも、参考書を買いそろえることも。

そんなのは必要ない。掘るんだ。何が出てくるかわからない。何も出てこないかもしれない。でも掘り続けるんだ。その何かから信号が届いているうちは。掘って何も出てこない場合は休憩してもいい。でも続けるんだ。誰のためでもない、自分のために。出土品は誰かにあげてしまえばいい。いや、やがて出てくるであろう巨大なものですらあげてしまってもいい。なぜなら出てくるものを所持することが目的じゃないからだ。それを出してやること、それが目的なのだ。

掘るんだよ。掘り尽くした時は、きっと自分にわかるはずだ。掘り尽くすまで、掘るんだよ。