日本語が乱れている=こんな乱れた世界から逃げ出したい

台北には紀伊国屋書店があり、時たま寄って面白そうな本を物色します(割高だし、最新本はあまり置いていないので、実際に買うことは少ないのですが)。日本語を熱心に勉強してくれる台湾人のお客さんへのサービスか、語学の学習本とは別に日本語についての書物の専用コーナーもあります。そこでいつも気になる種類の本があります。「正しい日本語の使い方」の類です。僕にはどうしても、「懐かしい昔の日本語の使い方」に見えます。どれだけ崩れていようとも、今現場で使われている日本語こそが、正しい日本語だろう、と考えているからです。

そこへ強力な援軍が現れたので紹介します。Kevin KellyというWired誌の創刊者が紹介しているデータ(の日本語訳)です。ここが肝心な点です。

Microsoft is running a n-gram project on Bing and they found out that the ten-thousand most commonly used words in English (on the web) change by 10% over about a year.

マイクロソフトは、Bing(ビング)でNグラムプロジェクトを実施している。それによれば、(ウェブ上で)最もよく使われる英単語の上位1万語は、1年余りの間に10%が入れ替わるという。

結果は英語に基づいて行われていますが、日本語にも適用できると僕は思います。英語より日本語の崩れ方のスピードが速いとは思えませんか?約140年前に書かれた「トム・ソーヤーの冒険」は未だに現代の英語と比較しても遜色ない格式を保っており、違和感無くすらすら読めるし、文中の言葉遣いは今でも通用します。しかし、それより後に、20世紀に入って書かれた「吾輩は猫である」の日本語はすごく古くさく感じます。今や誰もそんな言葉遣いをしません。日本語の方が、英語より圧倒的に早く言葉の陳腐化が進行することを考えれば、もし英語圏で1年間に10%の言葉が新しく使われ始めるのなら、日本語はもっと多いはずです。

だとすると、「正しい日本語」を標榜する中高年が恐れる「日本語の乱れ」は、本当だということになります。伝統的な言葉遣いは確かに、恐ろしい勢いでなくなっているのでしょう。

と同時に、彼らが主張する「日本語の乱れ」は、偽物でもあると僕は考えています。言語に「乱れ」など存在しない、と考えているからです。言語とは、僕たちが意思を疎通するための道具です。それ以上でも以下でもありません。意思を疎通するのが目的であり、それに応じて形を自由自在に変えるのが言語の役割です。意思疎通が成立している限り、そこには「乱れ」など起こりようもありません。あるのは「変化」だけです。何かを伝えたい、あるいは伝えたくない、という欲求を誰もが持っており、それに応じて最適な言葉の組み合わせを用いているだけです。

結果として、意思が伝わらないという事態は起こりうるでしょう(現在は、かなり多く発生しているでしょう。)でもそれは言語が乱れているのではなく、発信者と受信者の間で言語の使い方が異なり、それをお互いが認識していないのが原因です。あるいは、発信者が自分でも自分の表現したこと、したいことを分かっていない場合です。言語は、その時々での発信者や受信者のありようを、正確にくっきりと浮かび上がらせているはずです。

僕は、現在言葉の乱れとして捉えられている現象、あるいはデータに現れた「よく使われる言葉」の入れ替わりは、僕たちのありよう、社会、生き方、それらを全て含む世界の変化の激しさを表していると思います。世界が変わるから、それに応じて意思疎通も変わり、結果として言語が「乱れ」ます。

「正しい日本語を」を取り戻そう、と主張する人たちの姿は、幻想の懐かしい昔に帰りたい、という現実逃避にしか見えないのです。