オスプレイという中年オヤジのコスプレのような危ういネーミングの軍用機が本当に危うい、と一時期話題になりました。(オマン国をオマーンにしたように、オスプレーにすれば「御スプレー」と、意味不明ながらも安全地帯なネーミングに落ち着くのではないか、と妄想が膨らみます。)
オスプレイという飛行機は飛行機とヘリコプターの混血児のような独特の形状をしており、事故を過去に何度かやらかしているそうです。ヘリコプターのように垂直離着陸が可能で、プロペラ機のように高速で移動できる、いいとこどりの形態であり、いいとこどりの宿命として、事故が増える、という側面があるのでしょう。本当に危険かどうかについては僕はコメントしません。アメリカの軍隊で実際に運用されているので、未知の危険物を日本へ実験台として売りつけているわけではないだろうとは思います。
僕が違和感を感じるのは、「危険だ、排除しろ」という感情的な反対論か、「米国に従うのは仕方ない」の厭世論の影で、オスプレイという機種の斬新さがあまり強調されていない点です。技術立国として鳴らす国で、不自然なくらい新規技術が注目されていません。これが日本初の技術だったら、今頃「新しい技術なんだから、長い目で見守ってほしい」という声の方が大きかったんじゃないかな、と思います。
オスプレイへの反対であふれる世論は、現状打開を欲しているのに少しでも危険な要素は排除しようとし、結果としてあらゆる可能性をつぶしながら現状維持を続けてずぶずぶ衰退を続ける日本という国のありように重なって見えてしまいます。もちろん、理性的に物事を考えようとする人も多いのでしょうけど、感情論の音量が大き過ぎるな、と感じている次第です。(念のために、オスプレイを導入すれば何かが打開できる、などと考えているわけではありません)