語りかけが目的になって、攻撃的な口調が消えた

僕は断定的な口調が好きで、村上龍やめいろまさんのツイートを愛読しています。しかし、自分がブログを書く際は、丁寧な言葉遣いになっています。最初からそう決めていたわけではありません。少し書いてみて、丁寧な言葉遣いのほうがしっくりきたからですけど、なぜなのかな、と考えてみました。

多分、本気で自分の言葉が他人に届いてほしい、と考えているからではないかと思います。以前のエントリーで、日本語ブログは語りかけで、英語ではプレゼンだと言いました。英語で書いているときなど、僕はかなり断定的に書きます。

でも、日本語の際は、僕は「過去の自分に」対して手紙を送っているのです。何も分からずうろうろしていたあの頃の自分に。そうすると、攻撃的な口調は使えません。本当に相手に理解してほしい、と考えているからだと思います。

攻撃的な口調は確かに相手を刺激するでしょう。そして強く断定したほうが、相手も飲み込みやすいのも事実です。でも、そうすると相手は自分で情報を消化する余裕を失ってしまうのではないでしょうか。少なくとも昔の自分はそうでした。

もし僕が、何もわからずうろうろしていたあの頃の自分に対して、「こうしろ」と命令したいのならば、間違いなく断定口調を使うでしょう。そしてその頃の自分は、たしかに頑固親父のように断定してくれる人を捜していました。村上龍はその最たる人です。

でもそれは同時に、自分で考えることを放棄したがっていたからでもありました。考える前に、答えが欲しい:言ってみればカンニングです。そしてその後ろめたさがあるからこそ、よけいに何かを決めつけたかったのだと思います。

語りかけることで、論旨は「ゆるく」なります。相手は頭の中で疑問を生む機会が与えられ、言われたことをすんなり受け取れるかどうか、考え始めます。反論を考えるその作業こそが、(たとえあら探しであろうと)、自分で考えることにつながれば、と思います。(あと、断定的だと、尖ったところについ意識が集中してしまい、ほかの論旨がかき消されてしまいます。炎上ですね)