日本語と英語のツイッターは(幸運にも)別物だなあ、とつくづく感じる

ツイッターはどの言語で使っても等しく140字しか書けませんが、これは使い勝手上は全く「等しく」ありません。具体的には、英語と日本語では同じ140文字で表現できる量が全く違います。たとえばある日、面白いことを思いついたのでツイートします。

英語:Everybody knows he needs more money but nobody knows exactly how much. (70字)

日本語:もっとお金が欲しいと誰もが知っているけど、正確にいくら必要なのかは誰も知らない。(32字)

日本語だと同じ内容を英語の半分で表現できてしまいます。このおかげで、日本語ではたった140字でも相手の返答を入れ、なおかつ余りが出るくらいなので、ツイッター上で相手と「会話」ができます。でも英語だと相手が長い返事を書くことはできないので、せいぜい「いいね!」と返すか、ただのリツイートしかできません。英語では挨拶しかできませんが、日本語ではツイッターで会話、議論、対話できます。

しかし、日本語で思いもかけずに大量に情報を流せるおかげで、日本語の独特なツイッター文化ができたのだと僕は信じています。そしてツイッターでいろいろな人の意見を聞き、それに自分の意見を加え、それが広がるのを見るにつけ、この便利なツールが世の中に存在することに感謝しています。

おそらくツイッターの作者は使い勝手を分けようとは考えていなかったはずです。アメリカ人らしく、世界中で公平に使えるように、言語に関係なく「公平に」同じ文字数を割り当てたのでしょう。一つの文字が単語として機能する漢字という言語体系を知らなかったがゆえの、(幸運な)勘違いのおかげで僕たちは日本語や中国語で、手軽なチャットの場としてのツイッターを手に入れています。

追伸:もし英語空間で日本語ツイッターのように文字制限を気にせず見知らぬ人との会話を続けたい場合は、グーグル+がかなり使えるのではないか、と思います。放置プレイしている自分が言うのもなんですが。グーグル+はウェブの権威、Guy Kawasakiが本を出しており、これを読むといいでしょう。