いろいろな人が海外で過ごすことを模索しています。ノマド論議も盛んです。日本で古い枠組みの中で生きるのはあまりにもしんどいから、新しい方式を皆が探しています。いったい日本の枠組み(共同体とも言います)の何がしんどいかって、「無言の圧力」でしょう。こんな場面ではこうするべきだ、という約束事が多すぎて、それが積もり積もって爆発するくらいのプレッシャーを生んでいるのだと思います。
で、みんな「こことは違うどこか」を求めてさまよいます。口実はいろいろありますが、根っこの本音は「どこでもいいからもっと楽に生きたい」だと思います。僕はそうでした。日本企業から外資系、はてまた台湾へ流れ着いてきたのはひとえに自分が気持ちよくいられる居場所を求めていたからです。
でもふと振り返ってみると、それは「周りの環境の力を借りて自分を変える」作業でもありました。なんやかんやいって日本の圧力社会で過ごしたせいで、僕自身が、自分にも周りにも無意識に圧力をかける習慣を身につけていたのです。たとえば、「居場所を見つけなければ」という考えだって「なければ」の時点ですでに圧力ですからね。
そんなわけで、「俺は普通の日本人とは違うんだ」といきがって入った外資系や台湾で、自分から見たら常識はずれにいいかげんな同僚に対して「これだからXX人は・・・」とふと口に出してしまい、自分がいかに普通な日本人であるかを思い知らされることになりました。
とある環境に身を置くと、自分もその環境に染まってしまいます。あれだけ日本的な同調圧力は嫌いだ、と言っていたけど、自分自身がその圧力に加担していたんだ、ということですね。「日本社会は嫌いだ」は歪んだ形での「今の自分は嫌いだ」という声でもあったのですね。