さて、カタカナに慣れてしまうと、無意識に英語の学習の障害になる、というエントリーの補足です。カタカナ語を知っている場合でも、あえてひらがなや漢字で表現できないかな、と一端考えてみることのおすすめです。
同じカタカナ語でも、完全に自分のものになっているか、カタカナ以外では表現できないものは問題ありません。
- カタカナしか使えない:アメリカ、リンダ、タイタニック、ツイッター
- 日本語(自分語)化している:パソコン、キャンディ、サンダル
しかし、例えばカタカナでなくてもいけそうな言葉はどうでしょう。
- カタカナ:ツール、ステップ、ソフト、ミーティング
- ひらがな・漢字:道具、段階、柔らかい、会議
ここらから、カタカナを使うことをいったんとめて、ひらがなまたは漢字で表現してもいいのではないか?と自問することは大切だと思います。前回のエントリーで書きましたが、言葉の元々の意味を自覚しているか、いないかは長い目で見て大きな違いになります。
そして、カタカナをなんとなく使っているけど、たぶん僕たち自分でも意味をよくわかっていない言葉があります。
- カタカナ:アントレプレナー、ノマド、エントリー
- ひらがな・漢字:起業家、遊牧民、記事
「自分はこの言葉の(元の)意味を分かっているのだろうか?」と自問して、ひらがなや漢字でいけるのならそれを使ってみる、という作業は言葉に対する感性を磨く作業です。肝心な点はカタカナを使うか、漢字とひらがなを使うか、ではありません。自分のものになっている言葉を選んで使う、ということです。もし「ツール」のほうが「道具」よりしっくりくるのなら、ツールを使えばいいのです。
なぜカタカナをあえて使わないことが有効なのか?逆を考えてみましょう。僕らが大好きな「改善」は英語としてKaizenになっています。でもそれは「トヨタ自動車に代表される日本企業が細かい修正を積み上げていく経営手法の一種」という意味になっており、意味が狭くなってしまうだけでなく、業界の事情を知っている人間同士の内輪ネタになっています。
カタカナも同じです。日本語空間で使われている「ノマド」は「旧来の仕組みにとらわれずに働く条件を自由に選択できる仕事の仕方」であり、英語のnomadと意味は異なります。カタカナを使いすぎると、無意識に自分の言葉が内輪ネタになってしまいます。そしてそれは、外国語を使って異なる文化の人間と意思の疎通を図る上で、やってはいけないことです。というか、理解してもらえません。
今流通しているカタカナ語のうち、完全に僕たちが消化しきっている言葉はそれほど多くはなく、多くはKaizenみたいなものだ、というのが僕の感想です。カタカナ語を知っているけど、あえて漢字やひらがなで置き換えてみる、という作業は外国語を学ぶ上で、そしてそれ以上に、外国語を使う上で有効だ、と僕は思います。
さて、今回僕があえて使ったカタカナ語は「エントリー」です。「エントリー」のほうが「記事」よりしっくりくるから、と確認してから使いました。今後もこうでありたいな、と考えています。