少し前に、グーグルの元日本支社長、村上氏のインタビューが評判になったので読んでみました。突っ込みどころが満載なので、ツイッターにあきたらずブログでも紹介しようと思います。骨子を簡単に言うと、日本人はもっとグローバル化しないと取り残される、というしごくまっとうな内容です。ただ、神は細部に宿る、という言葉の通り、細かいところが引っかかりまくったのでそういう意味では読み応えのある記事でした。
記事で語られている「グローバル人材」は「グローバル企業のトップが務まる人材」という、かなりエリートな人のことを指しているのでは、というのが感想です。そこで、もっと庶民的に、「台湾企業の現地採用でマネージャーとして採用されるレベルのグローバル人材」にここで語られている内容は当てはまるのか?を僕自身の経験から考察してみます。あくまでも、「僕の知っている世界は違う」という話であって、元記事の内容の信憑性については触れません。
年齢、性別、人種、国籍等は一切問われない。これらの差別は禁止されている。日本のようなあからさまな年齢差別はないし、履歴書でも問うてはいけない。何歳か?とか何人か?ではなく、あなたは何ができるか?だけが問われる。
米国、台湾、イスラエル企業で仕事をした経験で言うと、あからさまでないだけで、どの国でも差別はあります。みんな差別したくてするわけではなく、差別には合理的な理由があります。日本企業でいえば、年を食った人間は会社の色に染まりにくいからです。イスラエル企業ではもちろんイスラム教徒が「差別」されました(つうか、入社できない)。台湾企業では、自国民を優先させろと政府から「外国人差別」のお達しが出ています。能力だけで選定される業界を僕は(まだ)知りません。世の大部分は差別が存在しており、それを「悪意」ととらずに、事情を理解して差別の存在を認め、自分が時には差別に助けられることも理解した上でつきあうのが現実的ではないでしょうか。
グルーバルな人材市場で学歴というのは世界的に通用するブランド大学のことである。ハーバード、エール、MIT,オックスフォード、スタンフォード、ケンブリッジ、カルテック、デュークぐらいであろう。
能力だけ、だったはずなのにブランド大学ってどうよ、と思わず叫びそうですが抑えて(抑えていない)、実感として、僕も、これまでの同僚や上司も、上記ランクのブランド大学を出ている人を知りません。大学とは人脈を作る場所である、と聞いたことがあります。確かに上記大学を出ていれば知り合いのクラスはあがるでしょうが、そのために数千万円の投資と死ぬほどの努力をするものだろうか?と考えます。
大学の成績。日本と違って世界は卒業証書をだけを見るのではない。大学時代の成績はとても重要である。
外資系と台湾企業あわせて10年以上仕事してきましたが、大学の成績を見せろ、と言われたことはありません。新入社員なら別なのかもしれません。僕は新卒は日本企業に入り、そのときも成績表は見せませんでしたが(見せてたら落ちてたな)、「(国内)大学のブランド」に助けられました。
最低でも修士。しかも上記のブランド大学のプロフェッショナルスクール(ビジネススクール、ロースクール、エンジニアリングスクール、建築・デザインスクール等)でないと採用側に響かない
修士は確かに有利です。ただ、採用側が「修士」と書くときは「修士レベルの知識」を求めているのであって、それにつりあう何かを出せば(たとえば経験とか)、いけることが多いです。僕はそうでした(学位しか取っていません)。
説得力ある実績。転職ばかり繰り返している印象はダメで、実績を残しながら企業や企業間の階段を上ってきた印象ある実績が有効
仕事が本当にうまくいって、実績が積上っていたら転職なんて誰もしない、というのが僕の実感です。(本当にうまく行っている人は、転職せずに、引き抜かれます)いかに(失敗した)経歴を次へのステップだと言い換えるか、転職の成功に必要なのは「実績」よりも、「物語」なのでは、というのが実感です。(僕はこの才能に恵まれているようです)
日本では何であれ失敗は悪い評価の対象だが、世界では違う。もちろんその内容は大事。説得力ある目標実現のために、計算されたリスクを取りながら、精一杯努力しての失敗は高評価を受ける場合がある。
実感として、失敗はどこへ行っても悪く評価されます。先ほどと同じで、うまく「物語」をつむげるかどうか、が鍵になると思います。
一般的に欧米のエリートは日本に比べて中高時代に勉強していない印象があるが、それは大きな間違いだ。真のエリートは中高時代から日本人がびっくりするような教育を受けている。ボーディングスクールだ。
僕自身はボーディングスクールに通った人は知りません。外資系企業の社長を含めても、です。
スポーツや芸術の経験も大きい。ゴルフやテニスやスカッシュや乗馬のように長い間社交の場で使える技術はビジネスでも生きてくる。パーティーで即興で社交ダンスやピアノやバイオリンを披露したら受ける。
・・・これくらいにしておきましょうか。最後は明るくユーモアで締めくくる、のは確かに外国で受ける話術ではあります。
つい長々と突っ込んでしまいましたが、要するに、グーグルに代表されるようなエリート集団の世界=グローバル化のほんの一部、だというのが実感です。僕も外資系に飛び込んだり台湾に飛び込んだりする前はそのような魑魅魍魎の世界を想像していたのですが、入ってみたら意外に普通のレベルで肩すかしをくらいました。
むしろ、障害になるのは学歴や職歴よりも、硬直化した態度や考え方であるようです。外資のやり方についていけずに脱落した人を見ると、自分の知っているやり方を捨てて、新しいやり方を覚えることができない人がほとんどでした。なので、グローバル化に必要なのは何よりも適応力だ、が僕がこれまで得てきた結論です。日本で介護に関わっている東南アジアの方から投資銀行の頭取まで、これは一貫しているのではないでしょうか。
適応力についてはまたぼちぼち触れていきたいと思います。