MRT map, winner takes it all, long tail

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台北地下鉄駅の出入り口にはわかりやすい周辺地図が必ず(ポイントです)あります。既に4年、台北で生活しており地下鉄は最も頻繁に利用する交通機関なのですが、「地図がかならずある」というのがこれほど安心感を与えてくれるのか、とほぼ毎回現在位置を確認する際に感じます。
よく考えると、行き先が決まっており、かつ何度も来たことがある場合でない限り、まず地図を確認しています。そんなに利用する必要などないはずです。文字通り迷路のような東京では地図の場所を覚えておくことが初めて利用した駅での鉄則でしたが、十字路が整然と並び、地下鉄も十字に走る台北ではその必要性はあまりないはずです。
なのによく地図を見る理由は、習慣化しているから、というのに加えて、いつでもあるのだからいつでも利用できる、という理由で周りの地理をあまり覚えようとしないのと両方あるような気がします。いつだって使えるものは、ありがたみを半ば忘れて便利に使い続けてしまい、いつのまにか自分で学習することを忘れる、という現象が起こっているのでしょう。
周辺の地理は最初に覚えてしまい、自由に行動したほうが理にかなっているのに、待ち時間を気にしながら地図を見るのは割に会わないはずなのに、習慣になるとそのことに疑問を持たないものだ、と感じた次第です。
地図のおまけとして、周辺の主な建築物?が記載されていますがこれは使った覚えが無い。いや、有名なデパートやらレストランやらが書かれていて便利なはずなのに、そこにいく場合以外に注意を向けません。地図の中でもかなりのエネルギーとスペースを割かれている割に使っていないのはなぜか、と考えると、「そこを見れば必ず情報がある」わけではないからでしょう。地図そのものは必ずあるから安心して無意識のうちに見るけど、地図の中の情報は取捨選択が激しく(どの店が掲載されるか、で皆さん血を流されてるのでしょうけど、その苦労はあまり報われていないかも)、いったん「使えないな」と思われると放っておかれる、ということのようです。
「そこにいけば、必ず自分の欲しい物がある」サービスは自分でも意識しないほど使い込み、「よくできているんだけど、自分の欲しいものがある訳ではない」サービスは前者の半分どころか数パーセントの注意しか向けてもらえない、という構図が見えてきます。これは世の中で成功しているサービスについての現在の法則だ、とよく耳にしますがこのことでしょうか。Winner takes it all.
グーグルとその他、スターバックスとその他、iPodとその他。。。ロングテールの世界だ、弱者でも生きていけるぞ、という法則がある一方、弱者は(長いけれど)恐竜の尻尾にすぎず、突出した頭は一つの組織・個人で占められる、という現実は存在するし、自分たちも実感しないうちにそれに手を貸しています。自分も世の傾向に拍車をかけているのだ、とわかると、こうした「トレンド」に対する見方も安全な傍観者のそれから背筋の少し寒い当事者のそれに変わる。。はずですが、あまり背筋が寒いと怖いから傍観者の立場に慌てて戻り、でも行動は変わらないからトレンドに力を貸して強化し、傍観者としてそれを見て納得して自己肯定感を支え、でも背筋が寒いのは変わらず、という構図は昨今のニュース報道とそれに対する(自分を含めて)反応を見て感じることでもあります。みんなつながっているのだろうか。