Fairness is not about equal numbers

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台北の地下鉄には改札を入らなくても使える無料のトイレがほぼ完備しています。トイレットペーパー付きです。しかも、車いす用に特等室(はい、使いました)もあります。これが素晴しくてなんでしょう?

で、男女のトイレが仲良く並んでいるのは良いのですが、女性側に長い列が形成されるのを改めて見ると、全体のデザインが整然としているためによけいに目立ちます。並んでいる側にしても、自分がこれからトイレに入ろうとしてるのを、結構な頻度で膨大な地下鉄の利用客全員に見られる、というのは一種の悟りの境地にいたるための修行になるかもしれません。

男女平等、とは言ってもまだ平等=数合わせ、でしかないのが現状だろう、と感じます。優位に立っている側は、(トイレの)数が同じだからそれで良いだろう、と疑いすらしないかもしれません。自分も、こうした列を日常的に目にしない限りそう思っていたでしょう。本気で平等にするならば、機会平等にするべきで、トイレを利用する機会(頻度)を平等にするためには女性用のトイレを男性用より大きく、多く作る必要があります。タンクの大きさが元々違うのだから。当たり前ですね。

トイレのように一度でも使えば誰でもわかる切実な問題から、社会全体のレベルが推し量れるのではないか、と想像します。女性の数が減少し、男性が少ない嫁を争奪しているとうわさされる中国では、他の国をすっとばして平等を達成し、その平等すら飛ばして女性蔑視から男性蔑視に移行するかも。世界全体の傾向としては女性の立場が確実に向上しているとは思います。たぶん、女性の労働力を使わないと経済がまわらない、という身もふたもない理由から機会向上の糸口は始まるのでしょう。

まとめると、格差または不平等解消は次のような段階を経るかも。
段階1:(劣勢に立たされている側の)協力を得ないと優位側が困る、という理由から解消が始まる
段階2:平等=数合わせ が起こり、まずは平等が達成された、と優位側が思いたがる
段階3その1:優位側も劣勢側も成熟して理性を駆使してくると、初めて機会平等が起こる(多分ほんの例外)
段階3その2:理性がともなわずに劣勢側が権力を握ると、立場が逆転して段階1へ戻る(多分ほとんどの場合)
他の不平等の問題でも、同じような法則?が当てはまるでしょうか。