今ハリウッドで大流行のジャパニーズ・ホラーがそのうち飽きられ、古きよき殺人鬼の物語が復活するのではないか、と昨日英文で書いた。
肉体の具体的な接触がないと、想像力だけがいくらでも膨らんで奇想天外な殺し方、脅し方が可能になる。リングの貞子は相手を睨むだけでよかったし、呪怨の?は青白い顔を見せるだけだった。漫画で言えば、北斗の拳みたいになってくる。不気味なほど筋肉の発達したお兄さん方が、「気」を放つだけで戦い続けるのははたから見ていたら相当間抜けな図式なのだけど、絵としては美しい。こんな相似点を発見すると、おおやはり日本発なのだなあと大げさに感動してしまう。ついでに、北斗の拳でよく見られた現象:ボスにたどり着くまでに連続して敵を倒す:をやってくれないだろうか。こちらはロールプレイングゲームでもおなじみだ。映画「リング」の例で言えば、孫貞子・子貞子・貞子・母貞子・婆貞子の順に主人公が対決し続けていく、という筋書きだ。ブルース・リーが死亡の塔でつなぎの黄色ジャージを着てやったのと同じ要領でやるのだ。
余談で、「死亡の塔」は映画そのものは完全に忘れられて、コスチュームだけが一人歩きして有名になっている。少林サッカーでも、Kill Billでも、黄色のつなぎジャージは使われた。
蹴ったり殴ったり斬ったり刺したりだけだと、どうしても現実の世界(=物理の法則)にしばられてしまい、よほどの工夫を凝らすか天才的な技巧を持ってこないと、息を呑む映像を撮るのは難しい。
例えばカンフー映画においてジャッキー・チェンは椅子やテーブルや自転車なんかの小道具を本当に上手に使いこなして、その限界を克服した。肉体の動きだけで観客を魅了したのはブルース・リーで始まり、終わった。今やワイヤーを使って重力を克服したかのように見せかける小技を、リー・リン・チェイ(ジェット・リー)すら利用する。
何が言いたかったのだろう?ああそうだ、「触れずに殺す」がそのうち飽きられるだろう(僕は飽きてきた)という予感だ。