ここ数日間の仕事内容を振り返ると、移動だけで確実に75%の時間を費やしている。
一度は片道2時間かけて客先へ荷物を届けた。届けたその場で、部品が足りないことが明らかになった。
のでもう一度、片道2時間のデリバリーを行うことになるだろう。
一度はファックスを流すためだけに片道1時間かけてオフィスまで往復した。
しかし要するに、移動は全く苦にならないらしい。時間を無駄にした徒労感よりも、これだけはたから見て無駄な時間の使い方をしてなぜ自分は空しくならないのだろうか?という疑問が先に出てくる。動いているうちは幸せなのだろう、と自分の傾向について一段と妙な自信を深めた。
もちろん今後も「無駄」な移動を繰り返すのだろう。いつかとても痛い目にあうまでは続くのだろう。
なんで無駄に感じないのかというと、移動中にやることがたくさんあって退屈しないからだ。本を読める。音楽を聴ける。空想にふけってにやついてもいい。時には仕事もできる。ただ景色を眺めるのも悪くない。疲れたら寝ればいいのだ。自分の周りに最低限の空間さえあれば、満員の新幹線で立ちながら移動、でも退屈せずにすごせる(疲れることは疲れる)。
ではどういうときに無駄なことをした、と感じるのだろうか。一度味わった快感をもう一度味わおうとして、失敗したときだ。あの感動をもう一度、ほどたちの悪い(しかしつい惹かれてしまう)フレーズもない。