The Last Supper

キリストと彼の13人の弟子が最後の晩餐を共にした、というかの有名な場所へも行ってみた。なんかあまりにも前触れがなく、「ダビデ王の棺の次は、最後の晩餐が行われた場所ね」とガイドに告げられて、のこのこと歩いていった。キリスト教を信じるもの、かじったもの、中世の西洋美術に興味があるもの、などなどにとってものすごく大切なイベントが行われた場所へ行く、なんて想像もつかないのに、「はいこれね」という感じで出されると感動など起こしている暇は無い。
エルサレムという町はこんな歴史的に有名な場所が無造作にごろごろしているところなのだ。後日キリストが処刑されたゴルゴダの丘、の跡地にも行った。ある人にとってはとんでもなく神聖で、近づきがたい場所が別の人、特にそこに住んでいる人にとっては生活の一部となっている。
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何の変哲も無い、ただの部屋だ。マーケティングのプロが見たら、落胆するかプロ根性に火がつくかして、この場所を一大エンターテインメントに仕立てるだろう。あおるだけ人をあおって、金をふんだくるだけふんだくって、あなたは歴史に触れいているのです、とか興奮させるだけさせていくだろう。

でもこうやって無造作に誰もが歴史に触れることができる、それこそが豊かさなのだ。エルサレムは歴史的に重要なだけでなく、文化的にものすごく豊かな町なのだ。いずれ誰かがこの場所をもっと閉じられた世界に変えてしまうかもしれない。容易に近づけないように、もっとありがたみを増すように、特別な「意味」を付加しようとするかもしれない。そのときに初めて、今こうやって触れているものがどれだけ貴重だったか、わかるのだろう。