時代は変わった、というコメントを聞くようになってしばらくたつ。特に仕事をしていると、その言葉をよく耳にする。そのあとにこんな言葉が続いて、ああそうですね、とうなずくというパターンだ。思いついたのをいくつか並べてみる。
「いいものを安く」
「即戦力を採用」
「自分の考えを持って行動」
「変化に適応できる体質が求められる」
僕も時々使う。でも聞いた後、そして使った後はもっと、違和感を感じる。上にあげたコメントはいずれも、「自分では何もしたくない、何も変わりたくない、何も考えたくない」という願望が先にたって、それにつられて使っている気がするからだ。たぶんその言葉を使い始めた人たちは自分の経験から言葉を搾り取って、その言葉の意味する本質が何者であるかわかっていたのだ。でも僕の日常会話で気楽に使われはじめると、本質的な意味は横におかれて便利さ、手軽さが前面に出てくる。
何故いいものを安く、と強調するのかといえばそれ以外にどうやって商売を続けるかアイデアがないからだ。あるいはアイデアを出して、それを実行するのが怖いからだ。安く作ろうとする側は、昔からえんえんとやってきたことを続けることで何とかしのげないだろうか、と考える。安く買おうとする側は、楽しておいしい思いをしたいなあ、と考える。双方にとってまことに都合のよい、「時代の要請」という大義名分を与えてくれるのがいいものを安く、という標語だ。
即戦力がほしい、というのは変化することを考慮に入れたくないからでてくる言葉だ。やることを決めてしまって、不確定要素を排除して仕事をしたいから、そして決まったイメージに当てはまる人とつきあいたいからだ。履歴書を見て人を判断したい、ふるいわけたい、そうすれば採用に失敗した言い訳もたつしというみもふたもない要望から出てくる言葉だ。でもどんな組織でも仕事でも、人材としての真の価値が履歴書を見てわかるわけがない。
自分の考えを持って行動する、はもちろん自分の考えなどというものがどんなものかわかっていないから口に出てくる。困ったことが起こってにっちもさっちもいかないとき、どうしたらいいのか検討もつかないとき、何も考えられないから「自分の考え」というものがありさえすればこんなことにはならずにすんだのに、と思って出てくる言葉だ。
だから本当に言いたいのは、どうすればいいか教えてください、というお願いだ。本当に不足していたのは解決策ではなく、解決策を見つけよう、作ろうとする意思だ。意思を持って行動するのはしんどいし自分もしたくない、だから解決策出してよ頼むから、と人にお願いする態度がこんな言葉を作り出す。
変化に適応できる体質が求められる、も上と同じだ。
現実に対応するために使われるはずのこれら全ての発言の真の目的は、現実からの逃避だ。こういう時代だから、などというたいそうな、でもよくわからない言葉を使うのはその後ろめたさを消す効果も持っている。