I, Robot はアイザック・アシモフの同名小説とは何の関係もないそうだ。CG+ウィル・スミスのギャグ+アクション さえあればいい、他のもの全ては、脚本も含めて、その3つを成り立たせるためにある、そんな映画のひとつだった。確かに退屈はしない。でも見終わったら何も覚えていない。Disposableな映画とはこういうものをさすのです、というよい見本だ。
娯楽映画としてよくできていればそれでいいのです、と割り切っているのなら、そしてくさるほど金と才能を使えるのなら、どうしてこの手の映画はレイダース/失われたアークくらいに面白くならないのだろう?徹底的に娯楽でありながら、そしてそれだからこそ、何度見ても楽しい映画にするのはそんなに難しいことなのだろうか。脚本のそこかしこに伏線を張ってそれがちゃんと生かされて、どんでん返しもあって、間延びする演出も無くて、と文句のつけようがない、のオンパレードなのだけど結局心に何も響かない。これでここが足りない、あそこの詰めが甘い、とけちをつけても何の意味もない。たぶん、何かが決定的に欠けているのだ。その何かとは多分「偏愛」と呼ばれるもので、それは特定の場面に表現されるものというよりも全ての場面でほのかににおってくるものなのだ。この映画の監督はダーク・シティという映画でかなり映像的に変態な面を見せている(カルトなファンが多いらしい)。今回は変態になれなかったのだ。予算が大きいとか大スターが出ているとか後で述べるようにスポンサーがうるさいとかいろいろ理由があって。
でもCGのアンドロイドは本当に、本当によくできていた。アカデミー賞の候補にしよう。あと、ウィル・スミスが画面に出ている限り退屈することは決してない。その人を見るために金を払って映画館に入るorビデオを買ったり借りたりする、というのがスターの条件だとしたらこの人は150%それを満たしている。
最後に、あまりにわざとらしいのでうんざりしたのが恥も外聞もない広告だ。
JVC, Audi, Converseのロゴがでかでかと表示される。Converseなどは「2004年モデルだよ」とわざわざ解説付で(かつアップで)紹介される。Audiは車を正面から見たシーンでは出っ放し。
Cast AwayにおけるFedexとMoltenとか007シリーズにおけるBMWとかMinority Reportにおけるトヨタとか、正直勘弁してくれい、と憂鬱になる。自分たちの製品が無断で借用されると訴訟を起こし、その一方でお墨付きを与えて製品の広告を映画の中で行う。正直疲れてきた。