Back to Japan

2週間のイスラエル滞在から戻ってきた印象。

・米が食いたい。日本のねっとりした、粒が小さい米。向こうでの米は例外なく細長くてぱさぱさしているタイプのものだったので。それはそれでたいそう美味しいのですが。でも一度食べたら収まった。無ければ無いで何とかなる程度の飢えだったら、まあ数週間に一回日本食レストランへ行く程度で十分かも、と再認識した。

・コンビニの存在がありがたい。出かける前には水が入ったペットボトルを確認、が向こうでの鉄則だった。暑い、乾燥している、道端に都合よくお店があるとは限らない世界では何はともあれ水と食料を確保する、が生活の一部に組み込まれる。

・でコンビニの中であまりの雑誌の多さにくらくらする。もっとくらくらするのは「暇つぶし」の雑誌の多さだ。テレビ、映画、サッカー、ファッション、ガンダム、風俗、そういったものの類がずらりと並ぶ。雑誌とはそもそも暇つぶしのために存在するのだ、と思えばいいのだろうけどなにか違和感が残る。そういう雑誌の類を眺めて思うのは「洗練」だ。どれもこれもすごく丁寧に作られて、読む人が飽きないような工夫がこらされている。多分日本の伝統工芸や建築とかにも通じているのだろうけど、細部への気配りが徹底している。

でも、新しいものではなくて既にあるものをこねくり回して作っている。既にあるものをさらに改良する、基本となるものはよそから輸入する、という鉄則はいまでもどこでも日本に生きていて、多分それが違和感の原因なのだろう。何もかも一から作るか、あるいは自分たちのルーツを変わらない形で保ち続けるか、のイスラエルとは違う。どちらがいいか悪いかは抜きにして。

イスラエル人、あるいはユダヤ人にとって伝統がどれほど大切なものか今でも想像がつかない。彼らは2000年前に使われていたヘブライ語を現代に復活させて、日常言語にしてしまった。有名な死海文書は2000年前に書かれていて、それは現代のヘブライ語と同じだ。そんな人工的な、あるいは無茶な行為が完全に人々に定着しているのを見ると、恐れ多く感じることすらある。日本は伝統を大切にする、とはいわれるけど昔の形式をそのまま保つ、ことはあまりやらない気がする。今ある文化で1000年前から変わらないものがあるだろうか?ころころ変わるからこそ日本らしいんだろうなあ、と思う。

またぼちぼち写真をアップデートします。