車はへんちくりんでなくては魅力がない。ので最近、どんどん車のことがどうでもよくなっている。洗練されてはいるけれど、予想不可能な要素を排除しつくしているので、見た目も中身も驚きはない。アメリカ、ヨーロッパ、日本の区別が見かけ上はなくなってきた。
それこそ車が社会に浸透してきた証拠だ、これから本当の車社会が到来するのだ、環境に配慮して扱いやすくコンピューターと機械制御が融合した今からこそ、昔夢見ていた車の時代が来るのだ、と呪文を唱えてもだめだ。成熟と退屈はペアになってやってくる。それを受け入れるか、受け入れないかだけだろうか。
理想的なのは変な形をしていてかつ小さいことだ。現実逃避でWebを徘徊していたらこんなサイトがあった。
Bruce Weiner Microcar Museum Virtual Tour
これでなくてはいけません。
上以外に気になって仕方ない車は:
スバル アルシオーネ
今でもセカンドカーを買うような人生を歩み始めたら:ほぼありえないけど、これを買うつもりだ。
Delorean
映画Back to the Futureで取り付かれました。ヘッドランプだけみたら普通の車なのにボディはスーパーカー:わかっています、死語です:なアンバランスさがたまらない。
単に変わっているだけでもいいけど、理想的なのはその車にしかありえない世界(ワールド)を作っていることだ。他で代わりが効かない。念のために、ここでは車の外見しか考えていない。動力性能とかハンドリングとか、難しい話は興味がない。それで車に興味があるといえるかどうかはよくわからない。
以前とある友人に好みの車のタイプを聞かれた。そのとき自分は小さなオープンカーがいい(ローバーミニのオープンタイプとか)、どこでもいきたいところにすぐにいけるしそれ自体が楽しいから、と答えた。その質問の背景はと言うと、「男性の、車の好みと女性の好みは完全に一致する」のだそうだ。そうかもしれない。ここで車にもうひとつ好みがある。「独特の世界」があることだ。その車と同じようなものがないのだ。カローラにとってのサニー、あるいはもっと近くてコロナのようなものがない。
MicrocarMuseumのような世界はパラダイスだ。