友人との夕食の席で、ある分野の大家と呼ばれる人たちがまわりに作り出すコミュニティの話がでた。
専門分野についての造詣の深さは別にして、その人の周りにどんなコミュニティが作られるかは、例えばウェブサイトを見ればおぼろげにわかったりする。
ファンがカルト的なコミュニティを形成する場合は、閉じたウェブサイトになったりするが(閉じていることはカルトの必要条件だし)、たとえばこのような例だとそういうことは起こりにくいようだ。外の分野とのネットワークが形成されるから。blogを効果的に使えばこういう風になる、の見本みたいだ。
Steven PinkerのHow the mind worksを読み始めた。心の仕組みについて取り上げた、ものすごく刺激的な本だ。最初の4ページを読んで、心の動きのこと以外に出てきたキーワードをあげると:
・アイザック・アシモフ
・Noam Chomsky
・禁断の惑星
・Kareem Abdul Jabaar
・Pygmarion
・写真家が使う光量計
Steven Jay Gouldみたいだ。専門家でありながら、それ以外の分野についての知識(俗なものも含めて)も豊富に出せる。単に読者の気を引くために引用するのではなく、難しいことをわかりやすく解説するために使う。だから聞きかじりではなく、ある程度本質的なことまで理解したうえで、例として出している。上のキーワードですでに知っているものはほんの少しだ。これはいったいなんだ?と興味が出てくる。映画を見てもいいし(禁断の惑星)、著作を購入してもいいし(Noam Chomsky)、単に注意を向けるだけでもいい(光量計ってなんだろう、と今度写真撮影を趣味にしている友人に聞ける)。心の仕組み、という一番大きなキーワードを軸にして、そこからいろいろな方面に興味が伸びていって、それがまた別の軸になったりするかもしれない。読みながら、本の外へ、頭の外へ世界が広がっていくのだ。本はいつだって一人で読んで一人で理解するものだけど、この場合は本が他の世界への媒体を果たしてくれる。出版元のアメリカでは高校生向けの教科書に採用されているらしい。正直、こんな本を教科書にしてもらえる彼らがうらやましくなった。ページ数が多いけど。
深く、広く知識が広がる様子は木が根を張っていく様子をイメージする。広く張ることでより多くの養分を吸収できて、かつ衝撃にも耐えられる構造になる。浅く広く、でも深く狭く、でもないのが理想なんだろう。で、広がっていくうちに他の木の根と絡み合ったりして更に強くなったりする。
とある勉強会のメーリングリストにて参加者の一人が自分の友達を呼んでみたい、と希望を出したことがあった。勉強会が対象としている分野で仕事をしている人だという。メーリングリストの主催者は、参加対象をある程度限定したい、と断った。はっきりとは言わなかったが、「プロ」が参加することで場の雰囲気が壊れたり、勝手にリードされたり、勉強会の本来イメージしていた姿が壊れてしまうことを懸念したのだと思う。そして他の参加者たちは、僕も含めて、反論しないという形でその行為を支持した。不安になったのだ。
断った本人にも、他の参加者にも、悪意は全くないと思う。彼は真剣に、自分たちの学びを深く豊かにしようとして行動をとったのだ。だが、閉鎖的なカルトはこういうところからはじまっていくのだな、とやりとりが行われる中で感じた。カルト集団は悪意から生まれるのではない。不安から生まれるのだ。扱いにくいものには怖いから関わらない、という態度が上の様な例を生み、いったん生まれた例は定着してそれ以降の外部との接触をどんどん狭めていく。
そして、分かり合える仲間内でものごとをすすめるのは、いずれ窒息しそうになるとしても一時は確実に楽しい。外部とのつながりを保つことは、言うほど簡単ではない。
こうやって唸ったあげく、義務や、自己啓発として外部との接触を行うのではなく、楽しいからやる&理由はわからんけどやりたいからやる、それでいいんじゃないんだろうか、と落ち着いた。