毎朝、JR新橋駅で降りて虎ノ門まで歩いて通勤している。SL広場でみかけるのはサラリーマン、サンドイッチマン(死語かな)、サラリーマン、ティッシュ配りのお姉さんお兄さん、サラリーマンだ。ビジネスマンという言葉はそぐわない。なぜなら彼らがてんでばらばらに集っているように見えても、その姿が何かしらの調和の中にいるからだ。ビジネスマン、という言葉を使ってしまうと一人一人が際立ってしまう。個人として生きる男、をビジネスマンと呼ぶならばグループの一員として様になる男、をサラリーマンと呼ぼう。
自分は普段スーツを着ないから、サラリーマンとは違うんだよ、とふりをして歩いている。もちろん、個人として生きている自信がまだない以上、本質的にはサラリーマンだ。だからこそ、彼らとは違う、と主張したいのだろう。
新しい事務所で働き始めて4ヶ月ほどたち、この風景に慣れてきた(同化してきた)先日、思っても見なかった意見を目にする機会があった。
上田真緒さんのblog中コメントより
しんどいだけじゃなくて、ランチがおいしいとか、ニュー新橋のような所でだましだましストレスを解消して、それなりに楽しいこともあるんです、きっと。そういう管理された状況の中で初めて力を発揮する男DNAが新橋のお父さんたちに色濃く見えた。管理下ではそのすごさに気づかないかもしれません。自由とか自分らしさとか自己実現だけが素晴らしいわけではないんです。それは単なるワガママだったりしますから。
管理下で開花する男らしさ、は思ってもみなかったことであり、そのうえ「そのとおりなのでは」と感じたので驚き、今は動揺している。この動揺を抑える(または開放する)ために、紹介された山田太一の著作を早速購入した。読むべし。脚本家が書いた本、というだけでかつてのダチョウ倶楽部(それくらいしか知らないんです)のように積極的に無視していたが、このたびそのような根拠のない偏見を破るきっかけにもなった。
ちなみに毛嫌いする、というのは毛虫のように嫌う、だと理解している。毛虫は見かけるたびに最低10秒は注意と好奇心と敬意を注ぐから、僕には当てはまらない。たとえを探すのに苦労する。