ゾンビのリメイク版を見た。
最初のバージョンは日曜日の昼間にテレビ放送されたものを見た。インパクトは強烈過ぎて、その後長い間その映画について考えることすらタブーになった。何が怖かったって:
・どこまで行っても逃げられない(世界はゾンビで埋め尽くされている)
・これまで自分が知っていた人が違う生き物に変わってしまう
ことだ。
殺人鬼や怪物の類なら、いないところへ脱出すればなんとかなる。しかしゾンビの世界は救いがない。どこへも逃げられないところから、物語が始まるからだ。ゾンビ自身にも救いがない。自分たちのえさを自分たちで減らしているのだから(いったんゾンビにかまれるとゾンビになる)。それから自分の知っていたはずのものが得たいのしれない何かに変わってしまった、というのは日常でもときどき経験する。人間関係で。そんな怖さをついてくるなんて、ずるい。
リメイク版はよくできていた。吉野屋の牛丼のように、早くてうまくて安い、と開き直って作っている。おかげで最後まで飽きる瞬間がなかった。たいていカルトな映画のリメイクを作ると昔のファンから罵倒されるもんだけど、この映画は評判がいい。リメイクだからゴージャスに作れ、でなくホラー映画なんだからこう作っちゃえばいいのだよ、とスタッフがわかっているのだろう。とにかくテンポよく、わかりやすく、という姿勢が見えてすがすがしかった(かつ、どろどろしていた)。
この映画のもうひとついいところはそんなチープなスタイルを維持しつつ、スタッフとキャストは一流どころをそろえた点だ。Sarah Polley, Ving Rhames, Mekhi Phifer, どれもすばらしい役者さんだ。ホラー映画に感動する演技はいらない、ことをわかってやっていることまで含めてすばらしい。脚本家はScooby Dooの実写版を書いたそうだ。ちょっと微妙。
一流の人材で、二流のエンターテイメントを作るのは意外と難しいようであまり聞かない。でもうまくいくと、結果的に歴史に残る傑作として認定される場合もある。レイダース/失われた聖櫃のように。スピルバーグは子供の頃に見ていた安っぽい冒険活劇を作ろうとしたらしい。確かにあの映画が偉大な理由は、どこまでいっても漫画の世界に浸りきれることだ。今回のゾンビはその域には達さないだろうけど、きっと長い間愛される映画になると思う。
Director Steven Spielberg was quoted as saying: “I made it as a B-movie… I didn’t see the film as anything more than a better made version of the Republic serials.”
それにしてもリメイクしたり再発行したりするたびに翻訳のタイトルを捨ててカタカナの直訳に走る例が最近本当に多い。確かに何か新しくなった感じはするけど、タイトルからわかりやすい意味が完全にはぎとられるというものは違和感が残る。「ドーン・オブ・ザ・デッド」といったって、「ドーン」の意味がわかるひとが何人いるのだろう?いっそ「死者の夜明け」とでもべたべたな訳をつけるか、アルファベットを残してもらいたい。「ゾンビ」ならわかりやすいのに。
何故ここにきて「意味」を奪い去って「記号」にしたいのか。それがそんなに格好いいことでもないのは80年代に経験ずみではなかったのか。こてこてに「意味」を入れようとするのも嫌いだけど。「愛と青春の旅立ち」の原題はAn officer and a gentleman(士官と紳士)だった。
他の例(映画ではないけど):
ライ麦畑でつかまえて→キャッチャー・イン・ザ・ライ
キャッチャーって、どう努力しても野球選手にしか思えない。
数少ない良心的なタイトル:
ミニミニ大作戦→ミニミニ大作戦
いいぞ。
何を勘違いしたのかタイトル:
狂っちゃいないぜ!
映画自身がとても面白いだけに。。
最後に、主演のサラ・ポーリーが他に出演した映画として「死ぬまでにしたい10のこと」がゾンビの宣伝文句で書かれていた。狙ってやっているのなら最高だ。死ぬまでに・・・を見て感動した人がドーン・・・を見たときの感想を知りたい。どっちの映画でも彼女はたくましく生きようとするのだけど。