中国語教室で、中国の人たちが買い物をする方法についての話題があがった。先生曰く、一般的に次のような傾向があるそうだ。
・必ず何箇所も店をまわって、一番安いものを買う
僕はめんどくさいから、買い物そのものがイベントでない限り(例えばノートパソコンを買い換えるとか)、インターネットで通販ができるなら速攻で買ってしまう。ソフトウェアなんかはほとんどインターネット経由でAmazonで本を注文するのも似ている。この場合は便利だけでなく安い、といいことづくめだ。
店をまわるだけで時間と交通費を消耗するのだから、そんなことは結局高くつく、が僕の考えだがそれは仕事が保証されている人間の考えだ、と今日気がつかされた。金が余分にほしけりゃ仕事の量を増やせばいい、という考えだ。
でも毎日の仕事が保障されていない状態では、時間よりも金、のほうが貴重な資源になる。金はつかいたくないが時間ならくさるほどある、が普通だったら確かにこの考えは合理的だ。
・商品についての情報をこと細かく聞いても、商品を買うという保障には絶対にならない。金が出るまではわからない、のが商売の鉄則であるようだ。それさえ理解できればストレスがたまることもない。
HISで飛行機のチケットを購入すると、成田空港の何番カウンターでチケットを受け取る方式になることが多い。こんなのは中国では一般的にはならない。金を出したなら、引き換えにチケットをもらわなければ安心できないからだそうだ。
・高いものをいかに安く買うか、が有能さ、無能さをはかるものさしになる
上海が特にその傾向が強いみたいだ。値段交渉がめんどくさいからと、定価で買ったことがばれると、馬鹿にされたり非難されたりすることもあるようだ。
なんか日本の大阪に似ていますね、で締めくくられた。
聞いていて感じたのは、中国でモノを販売する仕事を始めるのは今の日本以上に危険な行為なのでは、ということだ。日本ではブランド品を直営店でのみ販売する、でない限り100円ショップのような店がつくられ、客がいなくなる可能性が常につきまとうな、と思っていたが中国はその比ではなさそうだ。出来合いの商品をどこからか仕入れてきてそれをさばくだけ、あるいはよそに似たようなものがあるものを高く売る、ではもうこれからはだめなのではないか、と今日はじめて本気で考えた。というより、あきらめがついた。
何をいまさら、と言われるだろうけど今まで「安いもん勝ち」は結局自分たちの生活から余裕と豊かさを奪い取る、と考えていたので、できればそうであってほしくないな、と思っていた。多少質が悪いものを高く売っていたり、どこにでもあるものを適当に並べて適当に売ることは確かに褒められた行為ではないのかもしれない。でも誰もが商売の方法を必死に考える必要もない、とも思っていた。普通に生活ができればそれでいい、程度のポリシーでやっていても、別に悪くはない。できの悪い人、やる気のない人、ぼーっとしている人、悪意のある人、そういう人たちもごちゃまぜになってみんなと生活している状態が許されることこそが豊かな社会の条件の一つなのではないか、と今でも考えている。
やる気のない人間、最高のサービスを提供できない人間、自分のやりたいことがはっきりしない人間、自分に向いた職業についていない人間、前向きにものごとを考えられない人間には居場所のない社会があるとしたら、そんな社会にはあまりいたくない。僕はできればネガティブなものにとらわれないようになりたい、と考えているが、それでもそうした負の側面を許容できることこそが、真の豊かさなのではないか、と考えている。
何もかもやる気をなくし、周りに多大な迷惑をかけ、やりたいことなど何一つわからず、毎日会社にいけば机に座るだけで吐き気がする時期があった。会社員としては三流だ。こいつはどうしようもないな、と思われつつもなんとかやってられたのは会社と周りに余裕があったからだ。
僕はこれではいかん、と考えて会社を辞めることにしたが(その場にとどまって状況を変える気力・体力ともになかったが辞める、となると初めてエネルギーが沸いた)、それでも自分から辞めるのではなく早々に首にされていたら、いったい自分はどうなっていたか考えたくない。僕は周りの寛大さに、余裕に助けられた。これからだって、二度とやる気を無くすことはない、とはまだいえない。そのときに社会に余裕が無かったら、かなりしんどい思いをしそうだ。
ごちゃごちゃしてまとまりがない。ならどうすればいいのか、については次回書きます。