I am back

あっという間に戻ってまた行きます。

つらつらとBlogPeopleにて新しく更新されたblogの群れを眺めていたら、男性が書いたものと女性が書いたものが読破開始後約10秒で判別できてしまうことに気が付いた。
男言葉、女言葉、の使い方でわかるわけではない。何を題材に選ぶか、だ。

<これがネタだったらほぼ100%性別がわかる判定方法>
男性:日々発生したこと
女性:日々感じたこと

英語で言えばwhatが重要なら男、howが重要なら女、となる。
で、これは面白いな、と自分で感心するものは
男性:日々感じたこと
女性:日々発生したこと
をネタにしていることが多い。あえて本能にさからうのか、遺伝子の配列が少し狂っていてその歪がそもそも面白いのかはわからないが。

さて、上記の傾向は日本人だけでなく外国人(西洋人・・・・)にも当てはまるのだけど、男性に限って言えば日本の男性全般(日本語で書く)と、それ以外の国家の男性全般(英語で書く)との間でまた違いがある。
日本の男性が書くものは、モノについて書きはじめるのだけど(客観、としておこう)、結局は感情(主観)の話で終わる印象がある。
それ以外の場合は、モノについて書き始め(客観)、感情が入り(主観)、最後に客観で締めくくる印象がある。
だから読んでいて、英語+男性のblogだと良きにせよ悪きにせよ後味があまり無い。日本語+男性のほうが後味がある。

主観しかありえない極端な世界はあるだろうか。サラリーマンのおじさん達の会話を思い出した。日本のおじさんたちは大抵話しのネタをものすごく身近で具体的なもので始め(仕事とか天気とか)、終わりは完全な主観の世界で終わってしまうことが多い。ような気がする。一旦物事を客観的に見てみよう、と努力しない限り教訓や洞察は生まれないから、彼らの話から新たに学べることがあるとすればそれは今まで考えていたことをひっくり返してくれるものにはならない。今までぼんやりと思っていたことを、強化してくれることにはなる。うまく働くときには、僕が前から持っている考えに自信を与えてくれる。悪くはたらけば(こちらが多い)、この人種の話はつまらない、で終わる。