2日目が終了した。今日は日記です。
自分(または相手)が行き詰まっていること、あるいはやろうとしているのになかなか一歩が踏み出せないこと、そういったことを取り扱うのに、可能な限りの視点や選択肢を出しておいて、最後にそこからいくつか大切なこと、実現する決意のあること、を選び出してさあやってみようか、という書いてみればなんてことのない作業を行ってみた。
視点や選択肢を出す過程において:なるべく、絞り込まないように、どんなことでもよいからとにかくアイデアを出すことは楽しいし、後々も助かる。ただし、「こうであったらいいなあ」ではなくて「自分でやる」という前提で出すのが味噌。そのときに、「こんなことはできない、やったことない」という前提を無くして、どんなことだってやれる、くらいの気持ちでアイデアを出していくのだ。やったことないけど、本当に効果的なブレインストーミングもこんな感じだろうか。
コーチになるためのワークショップであったはずなのだけど、2日間そんなことを忘れて作業やら演習やらに没頭している。演習でコーチの役割を演じるときだって、将来のこととかコーチのあり方、なんていう大げさなことは頭から消えうせ、目の前の相手とどうやって関わっていこうか、と取っ組み合いをしている。あるいは自分の問題についての観点や実行できる行動などについて考えているときも、コーチとしてはこうやってアプローチするべきだろうか、などと考える余裕は無い。今やれること、やったほうがいいことに精一杯、楽しみながら取り組んでいる。解説や振り返りの時間はその後にやってくるけど、基本は「体で覚えましょうね」だ。
セッション終了後に友人を相手に毎度おなじみのコーチン具練習の宿題を行った。コーチン具としては失敗に近かったがケーキとピザをつまみながら雑談するのはいつでも楽しく充実する(セーフティネット完備・・・)。しかし、おかげで自分がコーチン具を習う動機を再確認できた。状況と場の流れと人の気持ちに沿って、より気持ちよく、より深くコミュニケーションを行うことが目的なのだ。コーチン具を、あたかも独立した、どこへでもそのまま持ち運び可能な道具(テクニック)として扱った場面では、うまくいかなかったしそのほうがよかったと思う。
「コーチングなんて、普通の人が普通の生活で普通に使っている概念であるべきだ」 正確ではないかもしれないが、このようなことをその友人に言われて、その通りその通りと呪文のように反芻している。ただ、人間が普遍的に使いこなしてきた智恵をもう一度現代的な学問として、実践できる技術として再認識しようという行動そのものは、大好きだ。小さいころから現実世界の不条理さに振り回されてきた(と思い込んできた)僕にとって、こういう「~の仕組みを大公開しちゃいます」という匂いには未だに弱い、弱い。その意味でHowStuffWorks(身の回りの物事)とか、BoxOfficeGuru(ハリウッド映画興行成績)とか、豆知識にとどまらずに体系を示してくれる情報源が豊富にある、そして出つづけるアメリカという国に感謝しているし、尊敬している。