木のいのち木のこころ 1/2

最後の宮大工として知られた西岡常一氏が語る体験や教訓をまとめたこのを読んでみた。

中学生の時に、西岡氏の書いた文章を最初に読んだ。国語の教師で、勤務している学校はおろか町外にまで名が知られていた体育会系暴力教師に紹介されて読まされた(しかし彼のギャグは面白いので、授業は恐ろしいが人気はあった)。いやいや読んでます、とはとてもいえないのですごく真剣に読むふりをしているうちに、本気で面白い、と思って読んでいた。当時はまだわら半紙に刷ったプリント、などというものが幅をきかせていた。曰く:
法隆寺を再建するにあたって飛鳥時代の道具をまず再現しなければ満足のいく仕上げはできないとわかったが、原料となる現代の鉄はあまりに硬すぎて、結局法隆寺に使われている釘をもう一度溶かして作った。
再建に使う材木は皆同じ大きさに切り出して使うべし、と学者が主張するのに反論して、古代の寺に使われている材木がいかに不ぞろいな大きさをしているか、そしていかに使うべき場所と木の特性を考え抜かれてそのように大きさがそろっていないのか、を実物を見せたにも関わらず学者は聞く耳を持たない。
などなどの逸話が繰り出され、「へー」どころではなく目からうろこが落ちる思いで読んでいた。奈良時代に確立されていた知恵に、現代人は未だに追いつかないでいる、というスケールの大きさと西岡氏の仕事にかける純粋な熱意がかけあわさって、今に至るまで老人の主張に感動した唯一の事例となっている。

余談だが先に紹介した教師の悪行から逃れるため、僕は率先して授業で手を上げ、テストでよい点をとり、機嫌をそこねないような行動をとっていた。3年間行ったこの行動が少なからず自分の性格形成に屈折した彩りを与えている、はずだ。その教師は他の暴力教師と軍団を形成し、おかげで中学生活は退屈でなかった。自転車(ケッタ、と中部地方では呼ぶ。進化するとケッタマシン。)のハンドルを故意に上向きに曲げていた他校の生徒(恐らくハーレーダビットソンのバイクをまねたのだろうが、それがはやっていた)はその場でマニュアル矯正された(手で曲げられた)。名古屋の繁華街でとある休日、軍団に発見されたカップルは「補導」され、左右を軍団にはさまれて電車で帰る羽目になった。終始無言だったそうだ(授業で聞かされた)。学生服のボタンを外して手洗い場にもたれてくつろいでいた生徒は予告抜きで蹴りを入れられ、跳ね飛ばされた(彼が煙草を吸っていれば絵が完成しただろうが、少なくない血が流れていたであろう)。今この瞬間も、どこかで誰かが彼らのことをネタにして飲んでいるはずだ。
その暴力マントヒヒの愛車はパジェロだったが、卒業生に金属バットでぼこぼこにされたと聞く。駐車場をあえて学校から遠ざけていたらしいが、役に立たなかったようだ。
彼は星進一と筒井康隆を愛読し、僕も愛読者になってその後長い間、特に筒井康隆の本を読みつづけた。

話がどんどん脇にそれていって恐縮だが、件の中学校ではやっぱり校則が非常に厳しく、先生は「あるべき学生の姿」というプリントを作成してそれを生徒に配り、理想の身だしなみを奨励していた。男女の中学生が並んで立っている絵が描かれ、体の各部分についてこうしなさい、と矢印をつけて解説が入る。ちょうどウルトラマンに出てくる怪獣の体の中を見る絵本の校則バージョンのようなもので、髪の毛は耳にかけてはいけない、だの運動靴は白でなくてはいけない、だの書いてある。そこまでなら当時どこにでもあった風景だ。
問題はその男女の目つきだった。僕が在学していたころは彼らは真剣な目をしていた。きりりと前を向いて、よく言えば真面目、悪く言えば絶望した雰囲気をかもし出し、その点だけでいえば、その絵は不自然ではなかった。絵そのものの人間はいないだろうが、やりたくもないことやかっこ悪いことでも淡々とこなさねばならない人間がいることを、自分達の親や教師の姿から理解はできていた。で、僕が卒業してからある機会に見たその改良版では、男女の目つきに修正が加えられていた。彼らは微笑んでいた。学生服姿のいがぐり頭とおかっぱが、にっこりと、希望を胸に、はつらつと。
その絵を見て映画「ゾンビ」を見たときと同じ寒気を感じたことを覚えている。

結局ゾンビで話が締めくくられてしまったので(最近、リメイクされたバージョンの予告編を繰り返し見ているせいだ)、次回改めて本を読んでみた感想を書きます。