最終回となった講座へ出席、といっても講師の藤井さんor森さんを中心に5名ほどのこじんまりとした、ささやかながらも雰囲気はダイレクトに伝わるよい機会だ。同じノウハウを共有するのでも、何十人と人が集まったスペースで話を聞くのと、小さな部屋でこちらのリアクションをダイレクトに返しながら(コメントも入れるし、あいづちをうったり困った顔をするとそれが講師にリアルタイムでフィードバック(すぐに反応してくれる) )やるのとでは気持ちの高揚のしかたが違う。「こうだろうか?」と考えていることを口にして気軽に、すぐに聞ける。同意であれ反対であれ、返事が来ることで理解が自分の中で根付いていくのがわかる。温かい飲み物が食道を通過していくときのような感じをもっと進めて、胃ではなく食道からじかに体がそれを吸収しているような感覚だ。まずいことをしてしまった、と自覚したときは肺の中に冷たい水が染み込んでいくような感じに変わるけど。
その場で、すぐに聞けてすぐに答えが出て、あわよくばもっと広がりのあるコメントや解説をもらえることと、一通り説明が終わって集中力が霧のようにかすんでいる状態でQ&Aをやるのとでは、やっぱり差がある。後者の時はそもそもの疑問が何だったかを忘れる場合もあるし、ちょっと前疑問だったことをもう一度記憶によみがえらせて質問するのは、結構骨が折れる。なんかあったような気がするけど思い出せない、がいつものパターンだ。
今の世の中、何が最も貴重って言えば時間に決まっている。気になったその場ですぐに解決、あとはすっきりして他のことをやろう、が出来ればいいなあと僕も思う。それが実際には檻の中で走りつづけるハムスターのように、休息という概念を排除しているだけのこと、の場合が多いけどそれでも、気分が違ってくる。その場で片付けてしまわないと、他のことをやり初めても集中力が出ないまま、だらだらと時間が過ぎてしまい、結局そのまま帰って寝る、になってしまう。だから知りたいことをすぐに教えてくれる、反応してくれる、がどれほど貴重な機会なのか、これからも何度も思い知らされるのだろう。
もうひとつ、その副産物として、やりとりを何回か続ければ自然と理解の仕方が正確に、深くなっていく。周りで聞いていてもそうなのだから本人は言うまでも無く。日頃メールとインターネットが主な仕事の媒体になってしまっているので、昔は気づかなかった直接やりとりをすることのよさに、かえって敏感になっているようだ。こうやっていろいろ気づいていくことで、ITと昔ながらの方法のいいとこどりをしてバランスをとれるだろうか、とふと思ったが「バランスの無さ」あるいは「バランスを取る能力の(相対的な)欠如」が自分を自分たらしめているのだから、なんかしばらくは無理っぽい。
どちらかといえば、バランスを保とう、とするよりも、バランスが崩れていることを早めに知って、その都度少し修正しよう、のほうがなんかできそうだ。崩れるときは崩れるのだから。と理屈をつけて自分を納得させたので、今日も帰り道に森永のラムネをコンビニで回収。ここ10日間で20本食べている。一度に2本買わずに、1本で我慢したところが修正。
これまで4回出てみて、週末起業とは何ぞや、メールマガジンを発行するには、ホームページを作るには、顧客を絞るには、などなどいろいろな話を聞いてきたが、ほとんどは単に「教えてもらう」立場で聞いていた(その態度がそもそも間違っている、との指摘は今自分でしました)。最終回の今回は少し違う。まとめの章だからか、準備ではなく商売を行う際のテクニックに踏み込んでいるからか、起業する人間がどんな心構えで仕事をするか、について重要なヒントを得た。といっても、要するに客の立場になる、というただそれだけなのだけど。
たとえ24時間働いても、意志が鋼鉄のように固くても、誰よりも専門知識を持っていても(自分は一つもない)、相手の欲しいもの(相手が自覚していようが、自覚していまいが)を提供できなければさようなら、というこんな単純なことを、まだ体で理解していないから未だにこういう機会ではっと気がつくのだ。
そういう観点に立って、ひとつだけ相手に伝えるメッセージの例をあげれば(それくらいならいいかな?)、
OK: 時間を節約します
NG: 翻訳ができます
早速今書いている最中の別のものに応用しよう。