現在読んでいるこのベタなタイトルの本 Doing Business in China の中で、中国で期待されるリーダー像が古来から現在に至るまで、変わっていないという話が出てきた(そう読んだ)。
Despite these and other signs, which many Chinese do find deeply worrying, there is at present no great call for the present system to be over-turned. In part, this is due to a fear that any alternative system of government might well be worse. As Chinese history, both imperial and more recent, shows, the Chinese expect certain things of their rulers, and when the latter fail to deliver, they are more than capable of setting them aside.
(貧富の格差、腐敗など)これらの問題をかかえつつも、そして一般の中国人はそれらを憂慮しながらも、今のところ現在の政権を倒そうという目立った動きは無い。理由の一つは、それでも他の選択肢よりはましだろう、と思われているからだ。 中国の歴史においては、古代の帝国から現代にいたるまで、中国人はリーダーが期待を裏切った場合、彼らを簡単に失脚させてきた。
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ここだけ抜き出してもあまりぴんとこないのだけど、他の箇所も合わせて読み、かつ中国語の先生(上海出身)の意見を取り入れるとこういうことになる。
中国での政府の役割は人民の生活を安定させることであり、それができれば善悪はあまり問われない。しかし無能だ、と人民から判断されるとあっというまに失脚して、次の誰かが統一するまで戦国時代が続く。
確かに中国の歴史を眺めてみると、秦の始皇帝からは 統一→腐敗→分裂→統一 のサイクルを延々と繰り返しているようだ。日本でもそうかもしれないけど、日本と違って中国では「天皇」に相当する人物までもがころころと代わる。
西洋人から(というより僕から、か)見ると中国の実質的な支配者、共産党は人権と自由を抑圧する邪悪な存在であり、一般の中国人はその支配から逃げたいと思っている、となりそうだけど実際はそうではない。中国人は結構満足しているのだ、と考えたところで先生は「そうでもないです。皆結構共産党の嫌な面を自覚していて、いないよりはましか、という程度にとらえています」と教えられた。
しかし善悪よりも、天下統一を果たすリーダーに人気が集まる、というのはそのとおりで映画「英雄」が中国で歴代一位のヒットを飛ばした大きな理由は始皇帝を「天下を統一し、中国に平穏をもたらした偉大なリーダー」として描いているからというのはどうもそのとおりのようだ。先生によればこの映画は中国共産党や軍部にも大人気とのこと。ただし、その見方に反対する人々も、特に知識人の中には大勢いるようだ(チェン・カイゴーとか。彼は自分が撮った「始皇帝暗殺」の評判が悪かったので余計だろうか)
僕も映画館で合計5回見た(上海で4回、日本で1回)映画なので思い入れがある。始皇帝の描きかたは指摘されるまで気づかなかった。それより、娯楽作品としてとんでもなくレベルの高い出来栄えに驚嘆して見ていた。カンフーが格好いいだけでなく、色彩と画像がすごくきれいだ。一昔前の香港製カンフー(ジャッキー・チェン、サモ・ハン・キン・ポー、ユン・ピョウと合わせて「御三家」とか言っていた)の安上がりかつ大量生産ぶりを見て育ったからなおさら。チャン・イーモウ監督だけでなく、中国の映画界は(クリストファー・ドイルや和田恵美を招聘するなど外部の力を利用する能力も含め)底が深い。
ただ、チェン・カイゴーのハリウッドでの失敗を見てイーモウ監督が「僕はアメリカではとてもやる気はないよ」とどこかで語っていたのが少し残念だ。第二のアン・リーになってほしい。