この勉強会へ参加してきた。
「人が変わる瞬間」というタイトルだが、途中からテーマのことはどうでもよくなって、ただひたすら司会のおふた方の話に引き込まれつづけた。重要な教訓をいくつか拾うと:
精神的に困っている人、苦しんでいる人は「穴の中に落ちて、かつ怖くて縮こまっている状態」のようなものなのだという。普通の人が普通に励ましたりしようとすると、あたかもその穴を覗き込んで上から叫んだり、棒でつっついたりするかのように相手へプレッシャーを与えてしまう。しかし志村さんは、「自分も穴の中へ降りていく」手法をとるのだという。しかもそれがとても上手なのだと。穴へ降りるが、苦しんでいる本人との違いは縮こまらずに、立って周りの様子を見ることができる、という点だ。ここからは少し想像が入るが、苦しんでいる人間は自分と同じ立場に別の人間がいてくれるのだと安心し、かつその人がすっくと立っていられることに勇気を得られる(重要だ)のだ。そうして立っているうちに横穴や、明かりや、ひょっとしたらはしごだって見つかるかもしれない。それらがすぐに見つからなくても、一緒に歌など歌って気分を和らげることくらいはできるのだろう。
素晴らしい比喩だけど、聞いた瞬間は少し悔しかった(自分の言った比喩が的確だと誉められることが結構好きなので)。言ってしまえばシンプルだけど、視線や立ち位置を同じにする、ということは当人が味わっている苦しみや恐怖を、セラピーを行う立場の人間も共有する、ということであるはずだ。さもなければ穴へ降りたことにならない。どうやってそれに耐えているのだろう?聞けばよかった・・・というか、聞きたいことが質問コーナーで出てくることのほうが少ないのでいつもこうなのだが・・・もし僕がその場で考えがすっきり整理できるくらいなら、blogを書くことだって始めなかっただろうからそれはそれでいい面もあるのだろうけど。
「苦しいときに変化のチャンスは訪れる」−峠は越したけど、最近それをまさに実感したような。僕も、これまでとは違った行動をとるときはいつも苦しい思いの終わりがけだった(真っ最中は、行動力が出ない)。けど、楽な時にこそ先手を打って変化を楽しむ、というのが一番なのでは、とも薄々思ってはいる。中国語の勉強開始(2年半前、転職直後)を除けば、それはあまり実行できていない。
そして話の節々に「悩んでいるとき」「壁にあたったとき」「困っているとき」とかいう言葉が、司会の方々自身の体験として(しかも現在進行形の話として)出てくる。あまりにも屈託無く話されるのでつい軽く聞き飛ばしてしまうが、彼らはコミュニケーションの達人だからといって、決してそういう負の感情を超越したわけではないのだな、と聞いていて思う。多分、一般の人との違いは、それらを処理したり、受け止めたりする方法をより多く、深く、体得してきた点だ。彼らが魅力的なのは、「超越」などしていない(多分そんな気もないだろう)からこそなのだ。
改めてOdamiさんのblogで紹介されていた志村さんのインタビューを読み返してみた。喜びも教訓も全て現場と格闘して得てきた(資料を読んだり、分析したりしてではなく)様子が率直に、だからこそ生々しく描かれている。仕事と人生が不可分として一体化する、ことについて無条件に憧れる気持ちは失せるが、同時にやはり素晴らしい生き方なのでは、という気持ちも両方起こる。自分の好きなことだろうと向いていることだろうと、どの道を選んでも楽チンになりはしないのだから、だったらより充実感を味わえることを試してみようか、と考えた。