携帯(についている)カメラ

今回の韓国寝不足ツアーで後悔したのがデジタルカメラを持っていかなかったことだ。被写体になりそうなものを見つけるたびに、blogにアップデートしたい欲求が起こってきてたまらない。この瞬間を写真に収めて公開したい、と切実に思う。
例えば機内食に入っていたチューブ入りの味噌、朝鮮人参ドリンク(ラベルに描いてある人参はやっぱり「人型」だ)、空港にあった火鉢灰皿(でかい、煙草が立っていて縁起がよさそう)、ハングルで書かれた初心者用日本語の教科書(帯に短し襷に長し などのおいしい例文)、などなど。
写真をとるなら携帯カメラが一番つかいやすくてかさばらない。しかし今使っている携帯に愛着が湧きすぎていて、高性能カメラ携帯に変えようという気がなかなかおきない。メールもインターネットも着信履歴もなくて、かつ白黒表示なのだが、別にそんなものいらんわい、という気にさせてくれるくらいかっこいい。
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しかし一番大きい理由は単純に市場に出回っているほかの携帯に、買う気にさせてくれるものがない、というものだろう。下世話だが他に魅力的な女性がいれば案外・・・と同じかな。
先月見かけたこの携帯ならば、買っても良い。しかも同じauからでてる。しかもカメラがついている。切り替えろということだろう、と店に入ったらみんな品切れ中。
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みんなこういうのをほしかったんだなあ、となんか品切れでかえってうれしくなってしまった。200万画素だとかGPSだとか、そんなめんどくさいところで勝負するよりこういうかっこよさを追及すればいいのに、世のメーカーはどうしてマゾヒスティックな行動に一斉に走り、性能競争の結果お互いにお互いの首をしめるようなことになるのだろう。そのおかげで最高の機能が安く手に入るのだからそれはそれでうれしいのだけれど。携帯にしろデジカメにしろPDAにしろ、すごい性能のものをいっぱいつくるのだけれどそれらをどうやって使いこなせばいいのか、という段階になるととたんに貧弱に見えてしまうのがいつもアンバランスに見える。どんな性能が出るか、よりもどうやって使うか、どうすれば人生が豊かになるか、もっといいのはどうすればもっと人生が楽しくなるか、と先に考えれば↑のようなものがたくさん出てくるようになり、(自分的に)おもしろい社会になるだろうといつも思う。