郵政公社とおじさん

たまには世の中の動向を追いかけて、Yahoo上のこの記事を取り上げます。

日本郵政公社の第1期総合職として来春入社予定だった55人のうち、約半数の26人が内定を辞退していたことが6日、明らかになった。
 公社は「中央省庁や県庁と併願していた受験者が多く、結果的に他の役所に流れた」と説明しているが、政府内の郵政民営化論議の盛り上がりをみて、内定者が公社の将来に不安を抱いた可能性もある。
 今回の総合職採用は、4月の公社発足後初の幹部採用として注目を集め、1万5800人が応募、競争率288倍の超難関だった。

どうもすんなり読み飛ばせない。だからここに書くのだけど。
まず郵政公社(郵便局)全体で55人しか新規採用をしないってあんた、それが全部で28万人いる組織が新規採用する数かい。確かに総合職、と(少しは)限定された範囲での採用なんだろうけど。積極的に新規採用することで新しいことをやれる力をつける、のは郵便公社が置かれた現実からは必須ではないのか?
また公務員のポストが確保でき次第そっちに流れる応募者も結局、安定がほしいのですね。300倍の難関を潜り抜けてやってくる人間がほしがっているものは安心、ということは彼らが仮に全員就職しても郵政公社に新しいことが起こる可能性は望み薄だろうなあ。公務員のポストと併願が多い、ということは郵政「公社」にした意図が十分伝わっていないということでもありそうだ。やりたくて公社にしたわけじゃなさそうだからそれは当然か。
そもそもそういう人間が集まってくるような人事の評価システムと評判を作ってしまっていることを放置しておいた、のが問題だと思う。郵政公社、にする時点で外資系のコンサルタントを入れるくらいして人事制度を作り変えてそれを公言すればよかったのだ。別に外資系の、特に米国流の人事評価がベストとは思わないけどお役所気分に喝を入れるには極端なものを持ち込んでようやくバランスがとれるくらいなのでは。
この記事を読んでいる限りでは、郵便公社側と、新規採用で応募してくる側両方にとって、郵便サービスの構造改革なんてものはどうでもよくて現状維持して生活の安定がほしいだけ、といううすら寒い現実しかイメージが喚起されない。
しかし、リラックスしてのんびり仕事する、ことは僕も実は大好きだし安定を求める20〜30代の人達に対しても別に腹がたつことはない。彼らはいくらのんびり、といってもそれなりに仕事はこなしていくだろうし、世の中にはそのように生きるのが性に合っている人もたくさんいてそのことに善悪や優劣はない。じゃなぜこういう記事を読んで少し頭にくるかというと、お役所的な雰囲気の場で一番甘い汁を吸うのが常に「おじさん」たち(なにもできない、気が利かない、人の気持ちを理解しない、話がつまらない、謙虚じゃない)で、若い連中が常にその犠牲になるのをこれまで見てきたから。たくさん若手を入れて、どんどんおじさんたちを追い出してほしいのに。
おまけとして、日本の景気・イメージ・自然破壊・文化レベル(ありとあらゆること)を改善する唯一の、また最も効果的な方法はありとあらゆる組織から50歳以上の男性をクビにすることだ、と本気で思っている。真にかけがえの無い人間を切ってしまうこともあるだろうけど、全体の0.000001%くらいだろうからそれくらいでちょうどいい。そこまで極端ではなくても、それに近いことをするのが一番早い、と誰もが(当のおじさんたちを含め)わかっているのに大きな声で言う人があまりにもいないまま10年以上経ちました、というのが現在の日本の姿だとも考えている。この国は近い将来、同じような問題を抱えつつある他の国にとって、非常に優れた分析用サンプル(悪い例)となりうるだろう。いや今でも多分ばりばりに研究されている。日本の問題について外国から本格的なプレッシャーがないのは、皆がまだ研究用としてとっておきたがっている、という要素が無視できないのでは。