コースの3日目。
今日は仕事のことを無理やりふっきり(あきらめと人は言う)、気持ちはすっきりして臨んだ。代わりに頭痛と腹痛が交互に襲ってくる。恐らく昨日の低調ぶりが今日になって体に出てきたのだ。いつもこの調子なので、落ち込んだ日は気分が悪く、次の日は体が悪くなって2日つぶれることはよくある。恐竜以上に始末が悪い。
気分がすっきりしたおかげかどうか、なぜ初日と2日目にうまくいかないでいたのか、ようやくぼんやりと理解してきた。その2日間で練習したことは・相手の感情の動きを体で捉えること と ・相手が話す言葉よりも、話しているときのエネルギーの状態を捉えること だったが、これらは僕がこれまでやってこなかったことばかりだ。苦手どころか、そんなことが存在する、できることを「忘れていた」のではないかと思う。単に知らなかっただけだったら、「おお、こんなことができるのか」と興奮するだろう。落ち込む、ということは実は避けていた何かに直面させられたときの反応だ。
本当は相手ではなく自分の感情を捉えるのが下手で嫌だったのだと思う。感情に浸ること、それも一人で、は得意というかすぐにやるのだが、感情をコントロールする、となると話は全く別だ。論理的にものごとを考えることが感情的になることよりはるかにレベルが高い、と思い込むことで自分のも、他人の感情もおろそかにしていたようだ。
改めて仕事でのトラブル場面を思い返すと、かならず感情のもつれが大きな要素を占めている。いつまでも堂堂巡りが続くときは必ず誰かが感情的になっている。論理的に全て説明がついたときは、既に半分解決している状態だ。現在、外国にいるエンジニアと日本の顧客との間に立つ仕事をしているが最も苦労するのが互いに相手のことを理解できないと思い込んでしまった状態になったときだ。そういうときは問題そのものではなく、問題の扱い方が異なることで互いに不信感が生まれる。一方は「ここまでやってやったんだぞ、何を無茶なことを言い出すんだ」と捉え、他方は「この程度しかやれんのか、責任も誠意もサービスも無い」と捉える(どちらが外国でどちらが日本になるかほぼ100%決まっている)。問題が解決してもこの不信感は続く。それをなんとかするのがお前の仕事だろう、という声が聞こえてくるのでそのとおりです。そして今まで自分がどちらの側に近かったか、もはっきりしている。
先日から読み始めたEmotional Intelligenceもまさにこのテーマの本だったのだが、演習を行うまでは自分自身の問題としてとらえきれていなかった。何事も体を動かしてやってみるべし、と安直に結論付けます。