Coaching入門とオフィス空間

コクヨが主催するビジネスレンタルスペース、デスカット(メキシコ出身ののプロレスラー)で行われたセミナーに参加してきました。正確にはDeak@なのだからデスク・アットと呼んだ方がかっこよさそうだが簡単さを追及したのかデスカット(マスカットの新種)。
コクヨはオフィス家具を作って売るだけでなく、オフィスのレイアウトを設計(「場」の構築)して提案することも積極的におこなっているようだ。デスカット(死の髪型)もその試みの一環だろう。スチールケースという会社も同じようなことを行っていたと記憶している。以前別件のセミナーでオフィス兼ショールームをでたまたま訪れたことがあって、えらく座りごこちのいい椅子が気持ちよく、オフィスのレイアウトが全体的にやわらかくて楽しそうだった。しかも赤の他人である人たちに、終業後のオフィス内を自由に見学させてくれた。誇りと自信を持って仕事をしているのだな、と恐れ入ったことを思い出す。
モノとセットにレイアウトも売り込めば一石二鳥、という下世話な話をすぐに思い浮かべてしまうが、仕事の場作りまでもがビジネスになりうるということは、日本が本当の意味で先進国になりつつあることの証だろうか。その意味ではコーチングも同じで、今回のセミナーの中でも、コーチングがマズローの欲求に例えれば最も高い、「自己実現」のためのものとして位置付けられていた。モノや金が手に入った後でしかコミュニケーションの充実を図る余裕など出ないから、日本もここまできたのだなあ、と年寄りみたいに感慨にふけりそうだ。
肝心のセミナーは、コーチングの概念というか基礎というかをもう一度消化できればいいか、みたいな気持ちで受けた。ビジネス向けのコーチングについての内容だったこともあり、かねてから疑問だったことを質問した。「相手から自発的な意見を引き出すことと、その場の目的について話し合うことを、どうやってうまく両立できるのだろうか?」だ。例えば目標を設定するための面接の場で上司が「じゃあ君は何をしたい」と質問し、部下が「営業職から開発部門へ異動したいです」とか言い出しそうな場合だ。ちょっと質問したときと言葉が違うけど。
回答:上司にしろ部下にしろ、「このことについて話す、働くという責任を自覚してその場に臨むこと」(ちょっと違うかもしれないけど)
直接の答えではないけど、そのとおりだ。コーチングは自分で自分の責任をとる、という覚悟の元に成り立っていることを再認識した。また、こういうときにコーチングがアメリカで発達してきた概念であることも再認識する。
20代半ばの人のweblogを読んだりすると、上司に何か聞いても「で、君はどうしたいの?」としか答えが返ってこないことを「毎度おなじみのコーチング会話」、とうんざりした口調で語られていることがままある。意地悪く見れば、これは仕事に対して、あるいは部下の指導に対して自信を持てない上司が、コーチングという手法を使うことで状況を改善できると思って試したのだけども、「責任を負う」という基本ができていないから(それができていればそもそもコーチングに興味を持たなかったかも)質問することがイコール逃げることにつながっている、と見抜かれているのだろう。
コーチングに仕事の悩みに対する特効薬のような効果を期待している人(自分、ではなるべくありたくない)には、逆に冷や水を浴びせる効果がありそうだ。
それから派生して、コーチングを行うことの効果について思ったのは「コーチ自身の魅力や実力を引き立たせる効果は高いが、コーチに新たな魅力や実力を加える効果は薄いのでは」だ。コーチングに過剰な期待を持って時には失望する人たちは、勘違いして後者の効果を期待してしまうのでは。コーチングを続けることで魅力が高まることはありそうだが、それとてコーチングそのものが魅力として加わるわけではない。
といったことを考えつつ、基本的にいろいろな人と話ができたのが一番楽しかった。何人か以前にお会いした方にあいさつできなかったのが心残りだ。会が終わると即効で立ち去ってしまう癖を改めねば。