世間ではあまり言われていなかったり、違うことを言っていたりしても実はこうなのではないか、ということを発見するとすごくうれしくなっていつも頭の片隅に置いておくようになる。
現在考えていることは3つくらいある。あまり頭に置いていても腐るだけのように思えるので書き出してみる。
1.アメリカの企業文化
(世間)株主を最も大切にする
(私)そういうポーズをとっていれば自分の給料が上がって楽に経営ができる(クビを切れる)から、社長たち(CEO)がこぞってそう主張する
2.ディズニーのアニメ映画「アトランティス」
(世間)あまりヒットしなかったけど別にそれ以外に語ることはない
(私)「ライオンキング」や「ウォーターワールド」と同程度に日本のアニメのパクリ
ライオンキングはこれと、アトランティスはこれと(どうか引かないでください)、それにウォーターワールドはこれと似ている。別に憤っているわけでもなんでもないが、興味はある。そもそもパクリは日本の十八番だったし。「俺たちひょうきん族」だって元は「サタデー・ナイト・ライブ」だと聞いたし。・・・と思ってWebを探したらあれま、ばっちり世間で騒がれているようです。ここでも。おしまい。
3.中国の潜在力
(世間)ものすごく安く作って(いずれ)ものすごくたくさん買う力
(私)ものすごく優秀な人材とそれらが作るネットワーク
結局、「王様は裸だ」と発見したいのだと思う。村上龍の著作をかつてむさぼるように読んでいたのも、それが理由だ。どれだけ偉そうでもスケベでもああいえばこういうでも実物と小説の登場人物のイメージが食い違っていても、破天荒なストーリーの中に「王様は裸だ」メッセージをちりばめてくれた氏の著作によって、一時期文字通り救われていたことがある。仕事にも私生活にもエネルギーが失せていたころに彼の「ストレンジ・デイズ」を読んで生まれ変わったような気分になったことがある。それまでの無気力が飛んでしまい、何でもできてしまいそうな気分だ。話の内容もずばり人生に絶望した男が「希望」を見つけ出すというものなので、まあそうだろうなと振り返ってみれば別に不思議でもなんでもないが。
村上氏の著作は今でも読むけど、前のようにむさぼることはしなくなった。だんだんと興味が薄れているのだけど、これは自分にとっては進歩だと考えている。他人の視点をあまり借りることなく、自前の頭で考えた事柄の中に「王様は裸だ」が増えつつあるのだ。ある意味、卒業に感じが似ている。
村上龍は文学者としては一流ではないような気がする。根拠は無いけど、「王様は裸だ」を取り去ってしまえば、氏の著作からは特に感動を受けたことは少ないから。もちろん彼には深く感謝しつづけることには変わりないが。その中にも例外は2つほどある。「コインロッカー・ベイビーズ」と「五分後の世界」だ。2つとも、読んでいる最中に熱が出た。1ページ読むのに10分くらいかかり、頭がくらくらしつつも本を離せない、という経験はこれ以外にはない。とにかく、密度とエネルギーが高い。初めて読む人は、上の2作から入ることをお勧めします。
1.と3.について書く前に気力と時間が尽きたのでいずれ続きを書きます(思いついたことから書いていく、という方式をとっているので順番はあとから並べている)。