田燕居

休日に父親(たまたま東京に勤務中)と一緒に食べてきました、本格的な北京家庭料理を出すです。
同じ中国語教室に通う方が店長を勤めているつてで教えてもらったのだがこれまで食べた中華料理屋の中で一番おいしい。Yahooで検索してもいっぱい出てくる。おいしい店を紹介するサイトに登録されていることより、一般の人のホームページやblogでどれだけ紹介されているか、で本当においしい店がわかるのでは、と考えているがそれを裏付けてくれるようにいっぱい。
全体的には、一般的な中華料理屋よりも味付けがあっさりしていて香辛料の匂いが強い(料理に関してはこの程度のボキャブラリーしかない)。普通の中華料理は食べあきた、という人には完璧です。
しかし最近になってようやく父親と(あるいは母親と)一緒に食事をとることから恥ずかしさや照れが消えてきた。大人になったのか枯れてきたのか、はよくわからないが・・・
お互い遺伝子の中にアルコールを拒否する酵素が入っているらしく、茶さえ飲んでいればOK、とまことに安上がりでよい。父親の実家も、全く酒を飲まない。以前とある法事で、黙々とご飯を食べつづけるだけの加藤家の様子に和尚さんが引いていたとか。
話の内容はお互いの仕事ぶり(楽しい)と僕の将来のキャリア(これも楽しいが「そろそろ落ち着かんか」と軽いフックが入る)。驚くべきことに「結婚」がなかった。以前はボディブローをくらって敵前逃亡を繰り返していたのだが。ついに、というべきか。
父親と弟が両方とも、自動車業界にかかわっているおかげで生の情報がいろいろ入ってきて楽しい。
曰くマ××では合併したフ×××とボ××の派閥が入り乱れて権力争いを繰り返しており、安全・頑丈でこれまでサバイバルしてきたボ××陣営が自己主張を通したおかげで設計中の新型フ×××アには戦車並みの防護能力が備わりつつあるとか。
過労を苦にして自殺してしまった人の遺族に最近会社が補償を行ったが、これは例外的なケースであり普通は自殺してしまうと因果関係を立証できなくて泣き寝入りしてしまうケースが多いとか。(こういう話が出ると僕を含めて皆必ず「なんでやめない?」と言うのだが、どうも日本の伝統企業に長く勤めると「逃げる」という選択肢を労働者みずからがタブーにしてしまう現象が起こるようだ。「馬鹿だな」と言っている人の半分くらいは、本心というよりポーズで言っているのではないだろうか)
ト××では情報管理(閉鎖)が徹底していて、資料は電子媒体ではもらえない。いつも印刷かFAX(もちろん日本語)。外資系部品会社はしょうがないので、彼らのヨーロッパ支社とかにこっそりお願いしてもっと扱いやすい情報をわけてもらっているとか。
しかしそういう業界話よりも、自動車業界はまだ袋小路に入ったわけではない、という見方が面白かった。機構設計(要するにエンジンとボディーの設計)は改良・改善を何万回と繰り返して行き着くところまで行った感があるが、電子技術はそれに比べると本当に遅れていて、進歩・改良のためにやることは山のようにあるとか(だから電子技術者に戻って自動車業界で働いてはどうだ、語学が使えると有利だぞ、というオチがつくのだが)。
僕は自動車をデザインだけで判断してしまうので、モデルチェンジ=デザインの進歩(あるいは進歩らしきもの)を実感できなくなった10年前から、車の進化はもう終わったのではないか、とずっと考えていた。本当は終わっているからこそ、テレビやら色のセレクションやら音声ガイドやら本質とはかけ離れたところでしかセールスポイントがないのでは、と思っていた。少し見方を広げて、どんな可能性があるのか見てみよう。確かに終わった、だけではあまりに詰まらないしかっこ悪い。