貞奴さんのサイトで紹介されていたので何気に見てきました。
映画に轢かれた、というより上映後の貞奴さんVS監督(工藤里沙さん)のトークがある、という案内を読んで。生貞奴見るべし!本人を見た感想は・・しゃべる内容もしぐさも筋が通っている、落ち着いた普通の方のように見えるのだが何かが違う。修羅場をくぐりぬけて初めて得られるポジティブな落ち着き、のようなものを(もしあれば)感じた。以前電車の中で、子供を見つめるとあるお母さんがにこにこしながらも同じような凄みのある落ち着きを放っているのを見て5分ほど視線が離れなかった(かなりやばいことしてたな)時と同じような感じだ(後で彼女が演出家の木野花さんであることを知った)。
監督はもっと驚いた。小柄でおとなしげな、昔の白黒映画に出てくる女子高生のような人だった。しゃべり方もおとなしげで、この人物のどこに映画を撮るエネルギーがつまっているのだろうか?と摩訶不思議な気分にさせられ、同時に「表現する人」に対して自分が持っている固定されたイメージを崩してくれた。
動機は不純だが映画はそれなりに楽しみました。
全体として夢の中にいるような感じで、ストーリーやセリフや登場人物が少しずつぎくしゃくしており、印象だけでものごとがつながっていく、ような感じでどうもよくわからんけどまあいいか、と見ているうちに気持ちよく終わった。適度にぼやけた映像が気持ちよく、心を病んだお母さんの姿がリアルで印象に残る。といっても家庭崩壊の映画ではないです。
10月31日までやっており、しかも毎回終了後にゲストが来るそうです。
こういう本当のインディーズ?の映画を自発的に見るのは初めてかもしれない。本編以外にも短編が3つほど流れ、予告編でもこれでもか、とすごく手作りな映画の紹介が次々と。それらを見たいか?と言われると、積極的に見たくない。なぜだろう? まず気づかされたのは、僕が普段好んで見ているものは結局、既にエスタブリッシュになっているものばかりなのだ。コーエン兄弟にしろP.T.アンダーソンにしろ。それらはハリウッド大作に比べればマイナーとはいえ、大手の配給会社やマスコミによって支えられているし「おしゃれ」として世間的に認知されてもいる。適度な刺激はあるが、基本は「安心」を得るために見るのだ。そのうえで「映画通」の仮面をかぶっていられるので2重に安心、ですな。
少年歌に限らず、本当にマイナーな(発表機会が限定されている、という意味で)映画を見ることは、自分が「ブランド」に寄りかかっている事実をあっさりと暴かれてしまうのが居心地良くないから、だと思う。どう評価していいかわからないと、たちまち「面白い」「つまんない」「よくわかんない」しか言えなくなってしまうのに気づくから。で、もともとの見る目があまりないので9割方「つまんない」で終わるのが予想できるから。
のでこれからはもっと見たことのないタイプの映画を見ることにします。。。。真っ先に「黄金の・・・」が頭に浮かんでしまった。どうしよう。気になるのは事実なんだが・・
でもこういう映画って上映する機会をつかまえるのは大変なのだろうな。勝手に想像しますが。こうしたインディーズ映画を流してくれる専門のテレビ局はスカパーとかケーブルTVとかはないのだろうか。最新の話題映画を流しつづけるだけ、なんてもううんざりだ。少しだるいときに何気なくチャンネルをまわし、たまたまやっていた映画をBGVとしてみていたがいつのまにか引き込まれた・・・てな経験はよくあるので(そういうときはそれほど面白くなくても結構見てしまう)、まずは自分の映画を見てもらう、という意味ではインディーズの監督が自分の作品を出す場がある、というのは商売を勘定に入れてもいけるのでは。
以前山村浩二監督の作品集を見た時も、手作りだが想像力全開の作品群に仰天しつつも「これらの作品は監督が「頭山」でアカデミー賞をとって有名にならなかったら多くの人に見られることは無かったのだろうな」と、悲しくなったことがある。