Blogging Rhythm

これまで約1ヵ月半、Blogを書いてみて何を発見したか:
・エントリーするのにかかる時間は平均45分
書いていると時間が経つのを忘れる。書き始めるまではかったるいなあ、と思っていることが多いのだが。
・エントリーしたあとはしばらく脳の回転がとまらない
2時間ほどは、頭だけではなく体まであったまっている。しかし考えていることを搾り出したあとは、集中力が出ないのでおとなしく本を読むことも難しい。ので意味も無く外へ出てあてどもなくうろつくことが多々ある。かなり怖そう。
・どうも同じ言葉、言い回しを同じエントリーの中で繰り返して使いたがるようだ(既に「同じ」が2回)
特に英文のエントリーで。順に書いていくというより、思いついたことを書き散らかして後でくっつける、という方法をとるからこうなるのでは。かといって途中でつまってうなるより書けることから書いてしまったほうがよいことはよいだろうし。地道に読み返すしかないか。苦手だけど
・書くネタはあるに越したことはないけど絶対に必要なわけではない
ネタがあっても書いているうちに新しいことを思いついて軌道が変わることもしばしばで、これはこれでおもしろい。なにもネタがなくてもなんか書くか、といじっているうちに書けることもある(今回のように)。書き手としてはどっちも満足するけど、読むほうは?
・文章を読み込むスピードが速くなる
特に英語でそれを感じる。自然と上達してきただけなのかもしれないけど。なので中国語もへたっぴだけど書き殴れば、時報をすんなりと読めるようになるのも意外と早いかも。
・アクセス数が気になる
Rebecca Bloodのhandbookの教えによれば、わざわざアクセス数とblogの質を下げようとしているわけだ。。現在1日平均17クリック(そのうち一回は自分)
・自分が読みたいblog=自分が書きたいblog
おこがましいけどそんな実感が。まあ自分のテイストははっきりしつつあるような。Blogを大雑把に3種類にわければ1.情報分類 2.日記 3.コラム となりそうだけど、自分は3.がメインのblogが好きなのですね。ではこのblogは??
・肝心なのは何が起こったかではなく、どうしてそう思うか
英語で言えばWhatではなくてWhyが大切だと思う。どれだけいろいろなことが書いてあっても、書いた本人の視点が欠けているか、明らかにされない文章はまず読んでいて面白いとは思わない。読Xや朝X新聞のような客観的と呼ばれる文章がますますつまらなくなってきた。そもそも客観的な文章なんてあるのだろうか。掲載する記事の話題を選んだ時点で既に主観が入っているのだ。そういうお堅い日本の新聞の文章は客観的という大義名分の下で自分の視点を明らかにしない(責任をとらない)楽ちんさをとっているのでは。
・では今後はどうするのか
とりあえず日英中をローテーションで書いてみようかと考えている。リズムを作って、blogのエントリーを特別なことではなく生活の一部、にしてみたい。

あと一つ、とても気になっていることがあるけど少し客観的になれたら書きます。

(9月26日 追伸 客観的な文章などあるかい、とぬかしているくせに最後で客観的になれたら、などと言っています)