金持ち父さん、貧乏父さん

先週実家へ帰った折に、原書を一気に読みました。
最初本屋で訳書が平積みになっているのを見たときは、また新手の教訓話か、とあえて無視していたのだけど、もっと早く読めばよかったと思う。
平易な文章で、お金についてきちんと学ぶことの重要性が繰り返し書かれている。資産形成のテクニックの紹介などは、現在の日本に直接応用できないものもあると思うけど(アマゾンのレビューにはそこを突いたものがよくあった)、基本は「金について無知でいてはいけない」”Build your financial literacy”である。
頭脳明晰で仕事熱心な、人柄もよい人たちがお金について無知なばかりに、努力に見合った経済的身分を保証されないことの危険性を説いており、普段家計簿どころか貯金の額すら把握していない自分にはとても新鮮であり、同時に深く考えさせられた。
以前、同様なテーマの本を読んだことがあった。この本
読んだ当時はなんだか「馬鹿な大衆にものしりなおじいさんが金儲けの秘訣を教えてあげるからね(でも本当のコツは言わない)」てなうさんくささを感じて馬鹿にされたように感じたが、この時点で見方が変わった。糸井重里氏は多分本当にお金のことを認識する重要さを知ってほしかったのだ。
でも、やはりその本は僕の中ではどちらかといえば「ごく普通のハウツー本」に該当する。一見ためになりそうな知識がちりばめられて、読んでいるうちはなんだか”気持ちよく”賢くなった気になるけど、終わった後にはあまり残るものが無い。うまくいえないが、ものの見方・考え方を変えさえすればいいんだよ、というメッセージを受けている気になるのだ。それは正しいと思うけど、足りない。まず必要なのは現状の正確な認識であり、考え方を変えるのはその後ではないのか、真実はどうなっているのか教えてくれないのか、それがなくては洗脳と本質的に同じなのでは?といったもどかしさを感じてしまう。
金持ち・・・のほうは僕の中で「王様は裸だ本」に該当する。ノウハウを授けることよりも、世の中の真実を伝えようとする姿勢の方が多く伝わってくる。こういう本は読んでいる途中であまり気持ちよくなることはない。背筋が寒くなることが数回起こる。でも読み終わった後に残るもの、先々できっと役にたつであろう知識を得られる確率はずっと高い。
真実を知るのはいつも苦しい。でも僕はどちらかといえば、「こう考えればいいんだよ」だけよりも、「これはこういうことだ、どうするかは自分で決めろ」のほうが本を読んでいてはるかにうれしい。村上龍の著作を昔からずーっと出るたびに読むのは、赤裸々な世の中の真実を知らせてくれる、稀有な情報源だからだ。
こうした「現実」を客観的に伝えてくれるのは、日本語で書かれたものよりも圧倒的に英語で書かれたものに多い。僕が英語のスキルを必死で上げてきたのは就職のための武器を磨くためだけではなく、より多くの「真実な情報」にじかに接して世界を広げる快感を知ったからだ。英語を学ぼうとしている人が、この世界の広がりを実感できるレベルに達する前に挫折してしまうのを見るときはとても残念に思う。どうやってこれを伝えられるか、もこれから考えたい。
で、お金について考えることの第一歩として、家計簿をつけることを始めました。