梅田望夫さんのblogエントリーを読んで。
まずは文中で紹介された論文のうち、Whartonのものが読んでいて記憶に残る要素がほとんどなかった。
実家に帰ったときに読んだAl Giniの著作についても同じことを感じたのだが、扱っている題材は知的好奇心を刺激するものに思えるのに、そして実際の文章も豊富な引用例を用いて詳細に書かれているのに、読み終わった後に何も残らない。
あまりにも残らないのでかえって印象に残る、という意味でこの2つの資料は共通して興味深い。どうしてそうなるかについては仮説として「他人の意見は豊富でも本人の意見が少ない」を立てているがまだ断定できるほどの経験は無い。
読んだ時間は無駄になったかもしれないけど、自分が文章を書くとき、発表する時の反面教師にできるのでは、と思うとこうしたことを考えさせてくれる資料も貴重かもしれない。なまじ権威のある人が書いているだけに。しかし僕の理解する能力が足りなかっただけ、かも。あるいは(あまり可能性はないけど)後になってじわじわと効いてくるのかも。
ところが後半のコメントは最近読んだ文章の中で最も印象に残りそうだ。まさに本人の意見で構成されているからだろうか?
今後はますます、「情報をたくさん持っている」ことより「情報をたくさん処理できる」能力が生き残ることを有利にしてくれるのでは。パソコンにたとえればハードディスクの要領よりもCPUのスピードか。ハードディスクはどんどん上書きしてしまえばよいのだろう。今回の記事を含めていろいろな人の起業体験や成功体験を読んでみても、「溜め込む」ことが大切だ、と説いている人はまだ聞いたことが無い。
7−8年前僕が社会人になりたてのころ、上司に対する礼儀作法とか社内のしきたりとか、「昔からあるルール」を覚えておくことがとても大切だ、と説く人が40−50代の人を中心に何人かいた。説教までいかなくても、そういうルールに従って仕事をしている人たちはもっといた。僕はそういうルールを覚えようとして自分なりに努力し、結局挫折した。ややこしかったのは、所属する部署は課長以下「自分で決めろ」方針だったことだ。今考えるととても恵まれていたのだが、僕は最後まで「会社のルールに沿って行動する」と「自分で決めて行動する」のバランスをとれず、どっちも失敗した。今では外資系に入社し、いらないルールから開放されて後者の「自分で決める」に照準を合わせることが比較的楽になったから余裕があるけど、昔のシチュエーションに戻ったら今でもやはりバランスを崩すと思う。ので当分、かつて勤めていたような日本企業には戻りたくない(戻れない)。すごく脱線しました。
ルールを重視するおじさんたちについては、彼らは間違っていたというより、単にそれ以外の世界を知らなかったのだろうと思う。そういう意味ではそれに挫折してよかった。
自分が何を武器に生きていくのかまだはっきりとわからないけど、現実に起こっていることをありのままに認識し、かつ将来に起こりうることを予想する訓練は大前提として大切であるような気はしています。