Coaching Shower

参加してきました。

前半は「人の話を聞くこと」の演習を中心、後半は独立してCoach業を営んでいる講師とのトーク。
最初は静かな面持ちで開始を待っていた参加者も、自己紹介のコーナーが始まると一気に明るくなった。
もともと明るく前向きな(本当に)方々が多いのにも驚いたが、自己紹介することで気分がほぐれて高揚する効果にも相当なものがあると思う。それも名前だけの本当に短いものを、たくさんの人と行うことで。
自己紹介は実演形式のセミナーの導入としてはかなり有効な手段のように感じた。

前半の収穫は「人の話を集中して聞くことは気持ちいい」ことを発見したことだ。15分間、相手の話を聞きつづける練習があり、数分聞いた後で突然、相手の言葉がそれまで脳に到達していたのが脳を通り越して体の中へ入っていくような感覚があった。普段話を聞くときは、相手の言葉をいったん自分なりの解釈に置き換える作業を行ってから初めて消化しているのだとしたら、その置き換えの作業を飛ばしてダイレクトに消化するような感じ。
これはかなり気持ちのいい体験だ。相手の話を聞くのは結構疲れるけど、集中できれば気持ちいいものなのだ、ということを覚えておこう。話を聞くことの有効なインセンティブになると思う。
前半の最後に感想を述べる機会があった。緊張していないつもりだったが、自分の声が話しながらどんどん上ずっていくのを実感した。体は正直だ。だからこそ、体の反応をコントロールすることで心の状態をも落ち着かせるテクニックが有効なのだろう。これらをもう一度読み返そう。

後半のセミナーも非常に刺激的だった。Coachingと起業について。
講師の方の一人は、大企業に勤めている時にCoachingの導入が有効なのではと思い立ち会社に進言したことが、Coachingを人物評価に取り入れることのきっかけになったそうだ。
聞いて考えたのは、組織がどう動くべきかというシステムを先に作るより、組織内の個人がやりたいと思ったことを楽に実現できる仕組みを作るほうが、モチベーションはあがるのではということだ。その講師の会社はCoaching導入で成果をあげ、講師の方は出世したようだが、結局それは会社の方針ではなく個人のアイデアから始まったのだ。
これは景気が悪くなっても未だにアメリカに人材が流入しつづけていることを説明してくれる気がする。「日本の社会ではOKといわれない限り全てNO、アメリカの社会ではNOといわれない限り全てOK」ということをよく聞くけど、アメリカの持つそうした試行錯誤を許す雰囲気(あるいはそうなっているという幻想)が、外国の人間を引き付けているのだと思う。
今非常に注目を集めている中国についても、彼らがそのような役割を持つか持たないかで、真に大国になるかどうかが決まるのでは、と思ったりもする。
その他、Q&Aで印象に残ったこと。
Q:Coachとして独立してやっていくために気をつけるべきことは?
A:仕事だけでなく遊びも使って世の中の動向を把握する事・人にやさしくあること・自分が何をやりたいかはっきりさせておくこと(でなければ目先の金に飛びついて方向を見失う)
Q:クライアントの目標がモラルに反していたりした場合は?
A:そういう人とは仕事をしない・組織としてはそれでもかまわない場合もあるので、引き受けることもある
Q:クライアントにCoachingのことをどうやって説明しているか?
A:Coachingそのものより自分自身を信頼させれば良い・クライアントのポリシーをとっかかかりにして話を進める・
Q:どうやって継続的にクライアントを獲得するか?
A:お金を得るためにCoachをやる人でうまくいった例を見たことは無い、クライアントと一緒に人間的に成長することを目的にすれば、自然と継続してクライアントはつく

セミナー後も二次会と称して飲み会。とある会社の社長さんといろいろな話ができた。会社経営のかたわら博士号の取得のために大学に通い、将来は別の事業をNPOで開くことを考えている面白い人だった。
彼からのアドバイスとして特に印象に残ったのは、「仕事の質を5日で100%にできるのならば、3日で80%に達した時点で出してしまえる能力が起業には必須」というコメントだ。もし自分が100%でなくてはいけないタイプならば、80%の人間と組むことが必要になる。そしてその前提条件として、自分自身を把握しておかなくてはいけない。自分で何でもできる、と勘違いしていることが多くの失敗の元とのこと。
将来自分のやりたいことを選べる立場にいるために、学問に進むか、仕事(会社勤めor独立)するか考えることもある、と言ったら明確な答えが帰ってきた。「学問は栄養で言えばビタミンで、仕事がたんぱく質になる。後者がなくては前者はなりたたない」
この先何をするかは別として、とりあえず自分を客観的に知る努力を継続することで間違いはなさそうだ。